友愛チーム
 
「明後日の午前お伺いしたいと思いますが、ご都合は如何でしょうか」と友愛チームのSさんから電話があった。この処2年ほど偶数月に、老人会の友愛チームの訪問を受けている。友愛チームは地域の老人会から選任された方が、一人住まいや、体の弱った人達を訪問して様子を確かめたり、慰めたりする女性グループである。お土産にいつも御菓子や果物を頂く。

条件としてみると、私は有資格者になるが、寝たきりというわけでは無く、2年目になると流石に申し訳ない気がして、私よりもっと弱っている方にど うか、と申し出たが、老人が一緒に住む家人によっては、訪問を歓迎しない向きもあり、喜んで頂ける家に行きたいと言われて其の儘になっている。



15年前、私が66歳の時、主人が亡くなったが、姉妹の話では暫らく私の様子がおかしかったらしい。自分では普段通りのつもりでいたが、2ヶ月 たって職場に出てゆくと、職場に関係する女医さんは、私のあまりの変わり様に、あの人は自分で気がつかなくても、癌になってっているのではないか、と、友 人に聞いたそうだ。

その頃、道で会えば簡単に挨拶する位の間柄だった畠をしているSさんに「コマ劇場の北島三郎の歌謡ショーの切符が2枚あるので一緒に行きましょ う」と誘われた。これまでコマ劇場に行った事が無く、歌謡ショーも興味が無かったのだが、連れ立って行ってみると北島三郎は流石に上手だし、舞台のお祭り の出しの造りが豪華で賑々しく、結構楽しんで帰って来た。病人のような私によく声を懸けてくださった、と、今も時々思い出している。

その後すぐ、それまで縁のなかった地元の老人会から入会の声が懸かった。知人は幾人もいなかったが、顔を出したとたん、若いので役員をやるように と言われ、5年程役員をした。役員は決まった仕事のほか、月2度の例会での、お酒、お茶の支度からお菓子の買出し、後に残って茶碗の後始末をするが、これは何の苦もなかった。

しかし会の後は余興があり、殆どの方がカラオケ、や詩吟、踊りなど芸達者なのに、私は人前に出て何も出来ず、常識的な歌も知らず、歌に合わせての手拍子の経験もなく、馴れるのに戸惑った。近くの憩いの家に行って習字や俳句をならった。

今も老人会に入っているが、出席は美味しいお赤飯の折が頂ける誕生月と、敬老会、忘年会の時だけになっている。行けば役員をした時の名残で、大抵の方と顔見知りである。

この月、友愛チームの我が家への訪問日には3人で来られた。この日は果物を頂く。玄関横の部屋に上がって頂き、お茶を飲みながら4人で雑談する。共通の話題は多く、30分あまりの時間はすぐ経ってしまった。

H17/11

 

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