別れ

私の歳になると、思いがけない人との別れが多くなる。Nさんからの電話がかからないこの頃、Nさんと付き合った日々を折に触れ思い出す。

昨年九月半ば、Nさんのご主人から、「とうとう駄目でした。お別れの会は後日にして、ごく内輪で密葬をしますが、親しかった貴女には是非来て頂きたい」と電話があった。

私より2歳年下のNさんとの付き合いは長い。 37、8年前、向ヶ丘の市役所で川崎市成人教育主催の生け花講習会があり、隣の席になった。同じ小田急線なのでその日一緒に帰ったが、次の講習日の朝、Nさんは向ヶ丘の駅で私を待っていた。

私が、その頃刺繍を習いに吉祥寺まで行っている話をすると、見に来られ、とても気に入って、それから、月に1、2度、午前から夕方まで、私にその刺繍を習いに通われた。彼女は末っ子で80歳くらいの実母が同居されていたが、双方で電話連絡出来るので安心だったらしい。このお母様はしっかりした方で、王禅寺の家を建てる時には力を貸されたと聞くが、彼女の夫が帰宅後は、遠慮して、殆ど自分の部屋から出られなかったという。又彼女の夫も折にふれ都心の上等なお寿司の折などをお母様に渡されていたようだ。



Nさんは何でも物怖じせず、積極的だった。家を建て替えられる時は、道から外観を眺めて気に入ったその家を訪ね、その家の方に大工さんを紹介して貰っている。若い頃はどんなに綺麗だったろうと思うような、はっきりした顔立ちでおしゃれにはいつも気を配っていた。

家が近いので私達はよく誘い合って出かけた。箱根をはじめ、向ヶ丘ばら苑、神代植物園、ラン展、都心の美術展等に行く。デパートに行っては、女の興味のあるところをゆくっりと回った。私の大正琴や絵、習字、のお稽古の発表会には必ず顔をだされ、私の仲間達とすぐ溶け込んで一緒に会を楽しんだ。

Nさんとは、いつもどちらからともなく電話で長話をしていた。偶然知り合っただけの縁なので、かえって本音が言えたのかもしれない。旅行の話から、新しく何を買ったとか、友人達の情報等を、何でも話し合う。私の夫がいなくなってから、私が何か迷っている時、Nさんのズバリと核心をついた言葉に、どんなにか心の安定を貰ったかしれない。永年、気安く喋っていたので、自分の家庭に加え、もう一つの家庭の過ぎゆく様を経験しているような気分がしていた。

肺がんで、肺を一つ取られてから9年経つが、再発が分かってからは、殆ど一年間、ご主人が家で看病されていた。

告別式の日、ご主人が挨拶された。
「自分は会社人間で、家のことは、全部妻に任せていましたが、妻は何でも上手に処理をしてくれて、とても助けられました。度々の転勤の時も、しっかりと留守宅を守ってくれ、私にとって、金メダルの妻でした」と結ばれた。本当はその場で拍手したい位。金メダルの奥さんなんて、素晴らしい言葉をいただいて良かったわね、と、私は心の中でNさんに話しかけていた。

オリンピックのあった夏も去年のこととなり、あの元気なNさんが別世界にゆかれて何時の間にか一年が過ぎてしまった。いまだ、報告したい出来事がある度に、Nさんを思い出している。

H17/09

 

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