わが町


昭和37年、小田急線の多摩川の先に家を建てた。駅を降りて、十二、三分歩いて、坂を上りきると、そこは別世界のようにさわやかに澄んだ空気がただよっていた。見渡す限り殆ど畠で、麦畑の中に建てた私たちの小さな家は遠く方からも良く見えた。
5年、10年と経つうちに、駅から遠い奥の方の土地は大手の建設会社によって大規模に開発され、家族で犬をつれて散歩していた雑木林はつぎつぎと姿を消した。

しかし、比較的駅から近い私の付近の農家は豊かで、地味に農業を続けているので、1軒、2軒と家はふえてゆくものの、いまだ、梅林や竹林が残り、緑が多い。



家を建てた当時、たった1軒隣接していた大きな農家は幼稚園となった。息子の受験の頃はよく「うるさい」と文句を言ったものだが
今はバラック建てだった園舎は鉄筋をなり,午前中に聞こえる園児のざわめきは適当に賑やかで心地よく聞こえる。

近所の方とは殆ど付き合いが無かったが、主人が亡くなるとすぐ老人会からお誘いがかかった。私は知っている方が少なかったが、土地の方々は私たちの家族をよく知っておられるのに驚いた。家に近い「いこいの家」に出入りしているうち、顔見知りの方が沢山ふえた。

今、私の家の前200坪位の農地は、貸し農園になっている。畠に来る方と立ち話をしたり、野菜を頂いたりするので、たまには私の家に上がっていただいている。

まだ昔の風習や、気分の残っている土地に住んでいると、なんとなく安心で、年寄りには運が良かったと思っている。

H16/03

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