海辺の家


        
千葉の「見物」に行くと聞いておかしな地名があるものだと思った。見物と言う字を知っていたので、小学校二、三年だったのだろう。姉と二人、夏休みにその頃家事手伝いにきていた、おぼろに”つるや”と覚えている人の実家の在る千葉の「見物」にゆき、幾日か泊まって泳ぐのだと聴かされた。その頃の女中さんたちは休みの日がなかったので、里帰りも兼ねていたのだろう。
   
ずっと見物と覚えていたが女学校に入ってから地図を見ていると、千葉の房総半島の東側に剣物の名を発見したので、昔行ったのはここだったのだと了解した。しかし今、けんぶつの字に自信がないので地図を調べたが、けんぶつという地名は見当たらず、今は地図の上では無くなってしまったのかもしれない。

 つるやの家は浜辺で、海が目の前に広がっていた。四つめ垣で囲まれた広い敷地の中には、大きい家と小さい家が並んで建っていた。辺りには漁の道具があり、奥の方には牛小屋もある。

私達は小さい方の家につるやと一緒に泊まった。この敷地の中には大人や子供たちが大勢住んでいたが、その中に同じようなヨチヨチ歩きの男の子が二人いた。お父さん夫婦の子と若夫婦の子で、片方は叔父さんになるのだと聞いて驚いた。兄弟十人位は珍しくなかった時代だ。

庭には綺麗な模様の蝶が次々と現れ、竹垣にはトンボがずらりと列をなして羽を休めていた。農家の大きいお兄さんたちは東京から来た私達姉妹を珍しそうに眺めていたが、やがて私達二人を従え、モチの付いた竿や、虫取り網を振りまわしては蝉やトンボを捕まえ、その技とみせてくれた。
   

毎日でてくる食事時のおかずは私の家よりずっと豪華だった。朝から生きのいい魚が並び、初めて目にするタニシの大きいような貝が山盛りとなって出てくる。突いてくるりと出して食べる貝は初めてだった。

この家で思い出すのはつるやと田舎道を歩いてお菓子を買いにいったことだ。姉は殆ど行かないが、私は毎日のようにつるやに連れられて、村にある雑貨屋兼の駄菓子屋に行った。そこにはガラスの蓋をした四角い秤り菓子の箱が十くらい並んでいる。その中で黄色の餡を花のように絞り、焦げ目をつけたお菓子が美味しくてとても気に入った。毎日其ればかりを「又ですか」と言われながら飽きずに買っていた。今でもよく見る駄菓子だが、あの時の方が美味しかったように思える。十日ほど経って母が迎えにきた。子供心に、母は何も知らないけれど、すごくご馳走になったので、そのお礼を沢山して欲しいと願った。

海で泳ぐのが目的で行ったのだから、皆に見守られて毎日海に行って泳いでいたはずなのだが、肝心の海で遊んだ時の様子は全く記憶にない。つるやの顔形は、はるか前に、私の記憶から消え去っているが、あのよちよち歩きだった二人の男の子たちは今も健在でいるのだろうか、と時々考えている。

 
H22/09

 

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