迷う


酷暑の八月、友人の訃報があった。このSさんは、学校時代は旧姓が同じで何かと隣の席になり、卒業してからも親しく付合っていた。七、八年前、同居していた娘さんに急に先立たれ、悲しみを負いながら、今はお婿さんと、大学を出て勤めている孫娘さんの家族三人の主婦役をしていた。

 八月の九日「お知らせしていいかどうかと迷ったのですが、親しくさせて頂いたので一応お知らせいたします。このお暑い時ですので、どうぞご無理なさらなくて結構ですから」と言われながら、式の日や場所を知らせるお婿さんからの電話がはいった。朝は元気だったが、夕方、孫娘さんが帰宅して、お風呂の中で倒れているSさんを発見されたとか。

 少し前なら勿論お別れの式に参列するのだが、どうしようか、と、迷う。今もたまには美術館や公園に出かけるが、常に気楽な連れがあり、何か事があったら連れが何とかしてくれるだろうと、甘えている。

今回、一人で行くとなると、東横線の都立大学駅にある式場には、二度の電車乗り換えと連絡道がある。そして一番の難関はこの連日の猛暑に、よたよたとした自分が耐えられるかどうか自信がない。

女子大の同じクラスで、自らがすすんで万年幹事を引き受けているKさんに電話をする。このKさんはずっと独身で大学の先生をしていた。今も海外旅行のツアーに年に何回も参加していて、信じられないくらい元気だ。といっても、Kさんの住所が埼玉県なので目黒は遠すぎると、あきらめながら電話をすると、先日転んで足を痛めていた。

しかしKさんは、「Sさんは、毎年クラス会に出席しているし、珍しく式に間に合うように早い知らせがあったのだから、クラス会有志として弔電を打ちましよう」と言ってくれた。

Kさんは、近くの小さな郵便局に行き、弔電を打とうとしたが、先方の喪主の名前が判らず、目黒の式場に問い合わせているうちに郵便局の定刻より、三十分も遅れてしまった。しかし局員が全員残って自分に付き合ってくれ、有り難かったと、夜になってその報告があった。



翌日、式の欠席を決めて香典をおくり、S家に電話をするとお婿さんが出られた。このお婿さんは、私も少し縁があって彼ら夫婦の結婚式に出席している。
「義母のなくなったのは残念でしたが、近くの年寄り仲間から、入院もせず、周りに大きく迷惑もかけずに生を終え、あやかりたい、とか、ご立派だとか言って皆に褒められています。義母さんは、明るくて近所の有名ばあちゃんでした。」と話されていた。

幹事のKさんは、このあと、去年のクラス会の出席者、数人にこの訃報を伝えようと電話をした。そのうち、甲府に住む一人住まいのNさんは、留守で連絡がとれない。二、三回かけたあと「電話を下さった方は、ご自分の電話番号を入れてください」との留守電の声のままに、Kさんは自分の電話番号を入れた。

しばらくしてKさんに電話がかかってきた。「私は東京に住むNの息子ですが、今日お盆で甲府の家に帰ってきて、留守電を聞きました。母はこの五月にお風呂場で倒れ亡くなりました」と話されたという。二人も続いてお風呂場とは驚いた。

Kさんは幹事の仕事に熱心で、事ある毎に几帳面にクラス状況を大学の「卒業生の会」に報告している。風の便りに訃報を聞いても、電話が外されたり、家がたたまれたりして、遺族も分らず、こちらの想いとは別に、様子不明のまま縁が切れてしまっているのが多いそうだ。一人住まいが多くなり、個人の状況のつかみにくい時代になった。

 
H22/09

 

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