お花見の一日

              
小学校と女学校のクラス会は毎年あるのに、女子大のクラス会は何時の間にか途絶えてしまっていた。十年前、Mさんが立ち上がって、万年幹事を引き受け、Mさんのお世話で年一度のクラス会が行われるよう様になった。各自が現在の感想や俳句などを書いた葉書一枚を編集したクラス便りも再開された。

 クラス会はいつも先生が出席された。 学校時代の受け持ちの先生二人のうち、一人は卒業したての若い先生だったので、私達と5歳しか違わず、今は同級生に見える。ある時、先生から不忍池の傍に別宅のマンションがあるので桜の咲くころ遊びに来ませんか、とお誘いがあった。私達は喜んで計画を立てた。

 平成十三年の春、先生と私達東京付近の六人は上野駅の公園口で待ち合わせた。お花見にふさわしい絶好のお天気だった。

 まず先生の家の墓所、寛永寺まで歩く。上野には来てもこちらまで足を伸ばした事が無い。寛永寺では関係者ということで係りの方に徳川家の墓地を案内され、慶喜公が仮住まいされた部屋をみせていただく。しだれ桜の前で記念写真を撮った。

 駅のほうに戻り、精養軒の傍にある鰻や「梅川」でゆっくり昼食をとる。
中央の広場に行くと大勢の人が出ていた。ピンクの花をバックに、子供にカメラを向けたり、たくさん集ってくる鳩と戯れたりしている。西郷さんの銅像へと抜ける大通りの桜並木は八分咲きで今が盛りという感じの華やかさ。この時期に来たのは初めてである。

 近道をするため、老人手帳を見せて三十年ぶりに上野動物園に入る。道の左右にいる動物に心を引かれてあちこちと回り道をしながら、不忍池が左手に見える細い道を下り、反対側の道へと通り抜けた。すぐ9階建てのマンションが在り、その9階が先生の別宅である。



 窓から見ると周囲の全景が眼の中に入る。上野の山、精養軒、街のビル街、下を見ると不忍池に小さいボートがカラフルに散らばり、止まっている様だが、よく見ると、動いているのが判る。人間も玩具のように小さくせわしげにして歩いている。日常見ていない面白い景色である。

 それから、先生が描かれた絵が飾られている部屋でお喋りをした。この時、先生が前日、有名老舗店で買って用意しておいて下さった練りきりの御菓子がどうしても見つからず、皆でその辺りを探したのを思い出す。夕方薄暗くなって「此処は普段使っていないので、また何時でも来てくださいね」と言われる先生の声を後にタクシーに分乗して六人上野駅に向かった。

 この年の秋、先生は庭で転ばれて骨折、予後が長引き今も老人病院におられる。
 同じ十三年の暮れ、Mさんは心臓の調子が悪く手術をした。
 十四年五月のクラス会は、私が転び、骨折して欠席、糖尿病のある方は悪化して娘さんの家に引き取られ、もう一人はご主人が高齢で遠出が出来なくなった。 その後、女子大のクラス会は十五年・十六年と行われていない。

雲の切れ間から差し込んだような晴れ間のひと時に、七人揃って元気な姿を見せ、あの時しか持てないお花見の一日を過ごしたのだった。

H17/04



inserted by FC2 system