歳を重ねる

            
ある日電話が懸かる。「Yでございます」と言う声に、十数年ぶりに聞く声だが、すぐ解かった。夫の会社の上司だったYさんの奥様だ。私達夫婦よりそれぞれ八歳上のご夫婦だが、夫達は高校大学が同じで、親しくしていただいていた。夫婦でお宅に伺ったこともある。

私の夫の後、二年ほどしてYさんのご主人も亡くなられた。その後は年賀状にありきたりの文句を書くだけの付き合いになった。今年は年賀状が来なかったので密かに心配していた。

昔やった結核の再発で夫が一年半休職したときは、社宅まで息子達にお菓子をもって留守慰問に来てくださった。そのころは会社の景気はどん底で、私がスカーフの縁かがりの内職をしてやっと凌いでいたころ。大きい中高生四人をかかえているYさんは、子供を志望校にやれず、もっと深刻だったらしい。

私が五十七歳の時、夫婦で北海道旅行をしたが、ツァーの集合場所の駅にゆくと、そのご夫婦が娘さんと中学生の孫娘さんの二人を連れて来ておられるのに驚いた。数え切れないほどの種類があるのに、たまに行く旅行の旅行社、日時までぴったり一致するとは、よほど縁があるのだろうと思った。

観光バスの中では、順に歌うようマイクが回ってきた。夫達は馴れているが、私は初めてなのでどきどきしていた。奥様は「月の砂漠」を綺麗な声で歌われた。私はマイクと一緒に来た歌集からなるべく短いものをと探し、「十五夜お月さん」にしたら、次の孫娘さんが、「かえるの歌」ですぐに終り、その短さに感心した。



摩周湖では用意されたアイヌの衣装に身をつつみ、記念写真を撮る。帰りの飛行機の中で、何処で買われたのか、アンモナイトのネックレスが首に掛けられていたので私は羨ましがった。

「私、九十三歳になりました。同級生で電話できる人が一人だけになってしまったんですよ」と先ず言われる。
「三年前まで気楽に一人でマンション暮らしをしていたのですが、九十歳をすぎると危ないと言って息子夫婦が入って来たので、私のスペースが狭くなりました」と次ぎにこの話となる。

昔の丁寧な喋り方そのままに三十分近くお喋りをしてから、奥様は、又、電話をしますから、と言って切られた。

私が横浜のマンションに伺って、積もる話をもっとしたいと思うが、北海道行きの時の写真を出してみると、私の姿は溌剌としてあきれるほど若い。お互い今の姿を見ないで、声だけのイメージでお話した方がいい。年を重ねる毎に、現在の私には見えていない暮らしがあるようだ。
 
H21/09

 

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