小さな車輪


 クリニックまでの二十分の道のりを歩こうかと迷ったが、この日はその後、町田に行く予定があるので、疲れないよう、タクシーを呼んだ。 ビルに着いて、一階にある薬局に、二キロほどある四輪ウオーキングバックを預ける。

 診察を済ませ、薬局で、バックを受けとり、駅に行く。エレベーターで降りて、町田行きのホームで電車を待った。普通の人には当たり前のことなのだが、八十七歳の私には、世間の人たちと混じって、こうやってホームに一人で立って、電車を待っている自分の姿が嬉しい。

十年ほど前、転んで背骨の中ごろの骨がつぶれ、レントゲンで見ると2つの骨が一つの大きい骨のようになってしまった。入院して相応の手当てをしたが、そのあと、どうしても調子が悪い。そんな時届けられたデパートの通信販売の冊子から、スワニーのウオーキングバックという品があるのを知った。



製作者自体が病気で足が不自由な方で、歩き易いウオーキングバックの形を研究して、特許をとり製作したという記事にひかれ、買って見ると、小型で、私にはぴったりの品だった。

四輪の車は小さく、持ち手を片手で握って体に添え、寄りかかるように歩くと、あまり滑らずに体が安定して楽に歩ける。一番助かっているのは、太りすぎの私の体重が車輪によってずっと軽減されて動いてくれることである。
現在使っているのは、私には三代目の品になるが、初めの頃より少し車輪が大きくなり、改良され使い易くなった。今はこのバッグのお供無しで外出することはない。電車の中でうっかり手を離すと、飛んで行ってしまうことがあるのは欠点だが。

何時ものように、ウオーキングバックをしっかりと杖代わりにして、半年ぶりに町田の駅に向かった。町田はかつて私が横浜の役所に通っていた頃の電車乗り換えの駅なので、ここにあるデパートやその周辺には詳しい。 

町田に着くと昼ごろだったので、先ず小田急デパート九階の食堂街に行った。暫く町田に来なかったら、奥まった場所にあったはずの「鰻や」が、エスカレーターの上がり口に移っていた。日ごろ縁の無い柳川鍋を注文したが、予想と違った貧弱な泥鰌の姿に、これなら当たり前に鰻を注文すればよかったと後悔した。

この階を降り、かつてはよく寄っていた、L判服売り場のあたりをうろうろと歩く。まだ私を知っている店員もいて声を掛けられ、結局バーゲンの安いブラウスを買ってしまった。店員に遊んで貰った気もする。 

見るとはなしに各階の様子を眺めてから、最後に地下の食料品売り場に降りた。先ず、食料品を知人に送った。町田に来た一番の目的である。

近所では売っていない自分用の好みの佃煮やパンを幾つか買い、品物をバックの中に納めた。帰り際にある「鳩サブレ」の店に並ぶ黄色い鳩ケースの可愛らしさに、思わずサブレも買う。女にとってこんなちょっとした買い物は楽しい。

結局、この日は、かつて五、六十代の、元気な頃にしていた私の行動と似たような動きをして、自分自身を楽しませていたようだ。この四輪のバッグとの出会いがなかったら、私は、あまり外出もせず、家の周りを杖で散歩する位の事のしかしていないかもしれない。

先日、駅前コーヒー店で、老人会で知り合いの女性に会い、席を一緒にした。彼女は膝が悪く、整形医の帰りで、杖をついて、私より、心もとない歩き方をしている。「このバッグを持つと楽だから試してみたら」と私はバッグを指した。しかし「似たような物を持っているから」と、手をふれない。お節介かもしれないが、試すだけでも試して貰いたかったと、今でも少し心残りである。

課題  丸い



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