小さい箪笥

私のベットの横に丈1メートル位の古ぼけた洋箪笥がある。昔、子供達が乱暴に扱って、丸い木製の取っ手が幾つか壊れたが、夫が木片を削って補修してくれたので今も使える。上に小さなテレビと、元気なころオーストリアで買ってきたビーバーが置いてある。

この箪笥は終戦直後の何も売っていない時代、私の嫁入り道具の一つとして家にあったのを貰ってきたものである。

ある日、ふと、この箪笥は池袋の家が空襲で焼けて鶴見の借家にいた時、横浜の親類がその家で使っていた箪笥をリヤカーで運んできてくれたものであるのを思い出した。その後2ヵ月位して、横浜大空襲があり、長者町に住んでいた横浜の親類は一家行方不明となった。



横浜大空襲とはどんな様子だったのかと、インターネットで横浜大空襲を開く。地域別に、その辺りの空襲体験の手記が載っていた。殆ど焼夷弾と猛火に追われあちこち逃げ回っている。

石川町方面まで読んでくると執筆者に私の知っている名前が出てきた。「K.T.当時20歳」とある。もしかしたら、数年前、憩いの家で一緒に俳句をしていた1歳年下のKさんではないか。本人ならば左手が無いはずと思いながら読み進めると、左腕に大怪我をした話が出てきた。

早速Kさんに電話を掛ける。Kさんは家にパソコンが無いので、それを見たいと私の家に来られた。大柄なおっとりした感じの方である。

25,6年前、ある出版社から自分の空襲経験を書くように依頼され、結婚せず、子供も無いので、自分がこの世にいた証に手記を残すのも良いかもしれない、と書かれた文がネットに転載されたようだ。

Kさんは普段、義手を付けているので、見たところ普通の人は気が付かない。うかっり紙に包んだ御菓子を出してしまい、破いて、と言われてしまった。置いてある大正琴をみて、音楽が出来て羨ましいわ、と呟かれた。

インターネットで戦前のの横浜の写真を一緒に見る。、今は広い道路になっているが、戦前Kさんの住んでいたという川の傍の場所がばっちりと出てきた。
Kさんはパソコンの表示される文字を読むのがとても早い。しかも内容をしっかり把握しているのに驚いた。私と1歳違いとはとても思えない。

現在のことを尋ねると、Kさんは地域の憩いの家で、俳句、民謡、短歌。朗読を習い、又他所で月一度の文学会にも入っているとか。その精神力と体力に感心する。とても心配されていたお母様が言い遺されたように、今は妹さん夫婦と一緒に気楽に暮らしておられる。

それにしても、この箪笥は私の家に来て60年、その前、何年どうやって横浜で使われていたのだろう。

H20/06

 

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