エスカレーター

 毎年春になると志望校合格の喜びの情景がテレビに映されるが、私にはこんな経験がない。一生懸命勉強し、勝ち取った合格の経験がないからだ。入学試験をしたのは何だか良くわからないまま行った女子大(当時は専門学校)付属小学校の受験の時だけである。

 受験の日、母に連れられて小学校に行った。案内係の六年生にすぐ引き継がれ、一緒に体育館に行く。そこは十人位の子供が輪になって椅子に座っていた。先生らしい人が二、三人いて、ごろごろさんのボール遊びをしている。隣の子供からボールが回されてきて、先生がドカンと言った時、ボールを持っていた人は歌でもお話しでも何かをするよう説明された。

 当たらないようにと思っていると、すぐ玉が回されて来て、とたんにドカンと来た。「なんでもいいのでやって下さいね」と言われたが、嫌で座ったままでいた。これではいけないのではないか、とも思ったが、近くに誰でも入れる小学校があるので、そこでも良いと思っていた。

 それでも合格して、五十人足らずの中に入り、姉が既に通っているこの付属小学校に行くようになる。それからは形ばかりの試験でエスカレーター式にそこの女学校に入り、つづいてその女子大に行った。



この学校は、父が若いころ、当時新潟の教会で牧師だった創立者、成瀬仁蔵の講演を聞いており、その時、将来女の子を持ったらこの人の創る学校に入れたいと考えていたという。

 この附属の小学校はドルトン教育といって、成績を厳しく言わず、それぞれの子の個性を伸ばす教育をしていた。親はもうすっかり安心して勉強をやかましく言わなかった。日本舞踊や、ピアノなどに力を注ぎ、学芸会のとき目立っている子も幾人かいた。先生はいつも、他人と競争するのでなく自分の怠け心との戦いに勝つよういわれていた。級長もなく、自分の成績がどのあたりにいるのかを気にした覚えがない。

女学校は外からの入学者で増え、三クラスとなった。ここでも、級長や成績の発表は無かった。クラスにある五つの係りの仕事(趣味・研究・体育・整理・図書)に全員が所属するが、責任者はまずジャンケンで決め、それ以後、学期ごとに交代し、総当り制で回っていた。責任者は係り総会でクラスの成果を発表しなくてはならない。

 女学校を卒業すると、数学の得意な人はT女子大、ピアノが出来る人は芸大などとそれぞれに別れていった。私は当然のようにここの女子大にゆく。

 其の時代は男子の大学には女子は入れず、東京にある女子大には、地方や、大陸からの成績優秀者がたくさん入ってきた。附属高女から来たたものは一クラス中、六、七人となる。私の選んだ検定の付いた家政科クラスは人気があり、紀元二千六百年のお祝いに、満州国の女学校代表で内地に来た人とか、地方の女学校でもトップクラスだった人が殆どだった。

当時の女学校は、都会は五年制、地方は四年制である。四年制から来た人は戦時中のため、殆ど英語を習わなかった人も多く、補修授業をしてもまだ追いつかず苦労をしていた。

韓国人も組に必ず二、三人は入っていた。大陸,台湾、石垣島あたりから来ている人たちは休みで帰省する時、男子学生と一緒になる往復の船旅が楽しそうだった。しかし、私の前の年度(昭和19年春)では、四年間を終え卒業証書持って満州に帰る途中、乗った船が魚雷に沈められ二人犠牲になっている。

今ほど大学が一般化していない時代なので、成績優秀で、しかも東京で学校の寮舎に四年間入って学べるほど、恵まれた環境にいた人たちは、周囲から期待の眼を浴びて上京して来ていた。殆どの人は卒業したら、母校に帰って教壇にたって後輩を教えるのが楽しみとか、育った地域の発展のために尽くしたいと言い、自分が選ばれて今この学校で学んでいることへの使命のようなものを感じているようだった。

この人達にはクラスでの成績の順番は大きな問題だった。県立第一高女だった人が、近くにある第二高女の成績優秀者の名前を挙げるのには驚いた。ある友人は休みに卒業した女学校に訪問すると、かつての恩師に「今東京の学校ではクラスで何番にいるのか。又級長はどこの学校を出た者か」と聞かれたという。

付属の私達はお互いそれぞれが持っている個性を認め合うだけでクラスの中での順番を気にしたことが無い。そして社会の中の自分を考えた事がない。今まで出会ったことの無い人達と、どう付き合ってゆけるのかと戸惑った。外からの人は東京で育った私達が、やたらまぶしく見えたという。しかし、これは初めだけで、双方その過ごした環境が違うだけに、お互いに学ぶことが多かったと思う。

その後の私の人生は、戦後の苦労はしているが、大体エスカレーターに乗せてくれた親の考えていた人生に添って歩んできたのでは、と思っている。

若い頃、試験を受けて味わう合格の喜びを知らないが、不合格の経験もないので、今、能力がなくても恐れを知らず、この年になってもあれこれと手を伸ばしてやっている私がいるのかもしれない。

エッセイ教室の課題「合格」
H20/05

 

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