身だしなみ

先日、地域の老人支援センターのSさんが私の被保険者証を預かっていったが、一週間ほどして、それを返しに伺いますと電話があった。いつものように家に上がって二、三十分お話してゆかれるのかと思っていたら、今日はすぐ次の家に回るからと言われ、玄関で用事を済ませた。

帰りがけ、玄関のドアーを半分閉めながら「Mさん、今日はとても綺麗に見えるけれどお化粧しているのかしら」と聞く。若い頃から化粧には関心がない方だが、年をとったらますますどうでもよくなった。普段家にいるときはまったく化粧をせずにいるが、外出をするときや、来客のときは仕方なくお白粉をサッとはたく。

「少しお白粉はつけたけれど」と言った後、アッと気がついた。昨日美容院に行ってカットをして髪を染めたばかりなのだ。
「私がきれいに見えるのは昨日美容院に行ったばかりのせいかもしれない」とSさんに答えた。
五年前、背骨を傷めてから美容院での洗髪の後、椅子からの起き上がりが不自由になり、しかも年のせいか起き上がってすぐ歩けなくなり、鏡の前の席に移るのに手を添えて貰うようになった。元気なころより美容院にゆくのが億劫になっている。しかし髪の手入れをしたあと、一ヵ月も経つと、栗色に染めている毛髪の地肌近くに白髪が目立ちはじめ、我ながらその汚さに限界を感じるようになって、やっと決心して美容院に出かける。

美容院でカットをして染め、ブローをして仕上がり、最後に肩を揉んでもらいながら鏡をみる。若い頃よりぐっと量の少なくなった髪とはいえ、まだらだった髪がそれなりに整えられ、さっぱりして満足したさまの自分の顔が写っている。同時にあと暫くは髪の事を気にかけず、過ごせるという安堵感が出てくる。家に帰ってから自分の髪型や顔をしみじみを見る事は無い。



この日の夕方、いつものお薬をいただくため、近所の懸かりつけの医院に行った。待合室に五人待っていたので自分は六人目だなと思う。若いころは十人先客がいても一瞬で自分の順番を覚えられたものだが、今は服装などで先客を覚えようと努力はするが、五人位でも混乱して途中で自信がなくなる。

医院のドアーがあいて次の客が入ってきた。みると私の町の町会長さんである。この土地生まれの方で若いころから地元の世話役をしておられるのでよく知っている。町会や老人会でよくお目にかかるが、用事がないので、改めてお話をしたことはない。作業服で街燈の電球を換えたりしながら、よく私の家の前をパトロールしているのをみている。
待合室に入ってすぐ、長椅子にいる私の隣にどっしりと腰掛けられた。思わず、「こんにちは、いつもお世話になっています」と挨拶してしまった。

「Mさんは一人住まいでしたね」と先方も私の顔や家の所在を知っている。お互い待合室では何もすることのないままに、初めて雑談を交わし始める。美化運動の道路清掃のことや、近いうちに行われる地元の「老人いこいの家」での忘年会の話などをしているうち、突然、Mさんは幾つになったの、と聞かれた。八十四歳です、と答えると、「こんな場所で会ってすぐわたしの名を言えるのも感心だが、見たところ、年齢より、若く見えるよ」と言われる。
今度は年配の男性から褒められた。又、昨日美容院に行ったことを思い出した。私には見られるという自覚が無く、よく解からないけれど、髪をきちんとしただけでも、私を外から見たときの印象が大分違うのかもしれない。

 翌日、いつものヘルパーさんが見えた。「美容院にゆかれたんですね。素敵になっていますよ」と、後ろに回ってよくよく眺めている。
最近は年齢に応じて自分が随分年寄りじみた姿、容貌になったものだと思い、もう外からどうみられてもいいと居直った気分になっていたが、こう三回続けて褒められると、それなりに、もう少し見た目のよさを意識して、暮らそうかと思った日だった。

H20/06

 

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