転機

            
 五十歳になって、役所の仕事をしないか、と義姉に言われた時、「そんなのは出来ない」と断わった。ずっと専業主婦で過ごしていたのに人前に出て喋るなんてとんでもないこと。身の上相談のような仕事だ。しかし、そんな仕事をすると俺がすごく良く見えるんじゃないか、という夫の期待を込めた言葉に後押しされて、応募することになった。 義姉の言うまま、大学の法律の通信教育を受けているいうち面接の日を迎え、無事通った。

一緒に入った者は男三人、女八人先ずは仕事についての研修を受ける。
町の婦人会長、退職した先生、法律家、などのすでに世のなかで活躍した経歴のある人が殆どである。こんな中に混じって家で気楽に家事をしていた私がやってゆけるのだろうか。

研修を終えて先輩の燐席に座り見習いをする。この頃、同期の中でも気の合っているAさんが、「Mさん(私)は、本当はこの仕事じゃなくて、もっと違う仕事の方が貴女の持ち味が生きたのかもしれない」という。自分が思っていたとおりだ。私がここにいるのは外から見ても違和感があるらしい。



迷いながらも、皆に付いて仕事をしていたある日、役所の中で研修会があった。百人あまりが広い部屋に集る。こんな会では経験豊富な者が会を仕切り、経験の浅い者が、指導を受けることが多い。私は、万が一にも指名されたら困ると会場の後ろの目立たない席に座った。

会の終り近くになって、中ほどの席にいたAさんが立ち上がり、その時皆で論議されている課題について意見を述べ始めた。新米なのに良く勇気があるな、と、感心して聞いているうちに会が終了した。終わったとたん、Aさんはすぐ、後ろの私の席にやって来た。

「今の私の発言、変だったかしら?」「ちっともおかしくなかった。適当な意見だと思ったわ。」「ああ、良かった。Mさん(私)は本当のことを言ってくれるから」。

えっ、そんな事決め付けないで。私は複雑な気持で聞く。私だって子供のようにいつも正直にものをいっているわけではない。都合の悪い時はお化粧して喋る。この場合は本当にいい意見だったけれど、いつも正直さを求められては困る。

それにしてもAさんはあんなに堂々と考えを言っているように見えたのに胸中不安だったのか、と考えていると、次に同じく同期のBさんが傍に寄ってきた。「私だって意見くらい言えたけれど、時間が無かったから黙っていた」と言う。私の関心のないところで競っているのだ。

それから暫くして、同期生ばかりの会食会があった。
一人が新調の服を着てきた。その人の雰囲気にぴったりとして顔がきれいに映えている。「とても似合って素敵よ」と私が皆の前で褒めると、すぐBさんが「Mさんが似合うと言えば、本当に似合っているんだから自信をもっていいよ」とつけ加える。「どうしてそんな言い方をするの」と少し不機嫌な私。

「Mさんは普段黙っているけれど、口を開けば、本当のことを言うから」とBさん。続いて「だからMさんになにか注意されたら、一応反省してみることになっているの」と思いがけない事を言う。

人の足を引っ張ったり競争したりする知恵も能力もないから、信用される。何となく吹っ切れた。これは男の社会では通用しないかもしれないけれど・・・。
大きい玉の中に混じる小さい玉も全体の動きの中では大事な役をしていたのだ。それぞれの場所でその人しか出来ない事をしている。

褒められているのか、けなされているのかよく判らなかったけれど、自分の力の儘にやってゆけばいいのだと、自信をもらったような気がした。

 課題  褒める
 
H22/03

 

inserted by FC2 system