正月の上野


今年の元旦は旅行する者が多く、私の家に集まったのは六人だけで、嫁の用意したすき焼きで祝った。何をしたわけでもないのに何となく落ち着かない正月の数日を過ごしたあとの六日、一つ年下の友人Aさんに電話を懸ける。私と同じ様な一人身のAさんは、元旦は息子さんの家にゆき、二日目は娘さんの所に呼ばれたそうだ。

これからは連日、お天気が続きそうなので、翌七日、急に二人で上野東照宮のぼたん苑にゆくことに話が纏まる。私は両親が新潟の豪雪地帯の生まれだったせいか冬の寒さには強い。二年前の一月にも、上野のぼたん苑に、以前の仕事仲間と一緒に観に来ている。上野は家から一時間半近く懸かるが、行き慣れたところなのであまり苦にならない。家から最寄り駅まではタクシーを使う。

十時半、Aさんと上野公園口で待ち合わせ、すぐ東照宮のぼたん苑に入った。好天に恵まれ来園者が多い。手入れされ、寒さよけの菰を被された牡丹は「又お目にかかりましたね」というように迎えてくれた。植えられている牡丹の花を、示された道順のままに見て回った。



桃、白、臙脂、黄色、混じり、五分咲き、満開、それぞれが精一杯の今の姿をみせている。二人で花々の感想をいいながら時間をかけて歩く。ところどころに小さな黄色の花をつけたの蝋梅の木も立っている。手あぶりの火鉢のある緋毛氈を敷いた腰掛で暫く休んだ。そばにある俳句を記した立て札の句を味わう。

牡丹園を出て、傍の改装中の東照宮にお参りをしたあと、予定したとおり、近くのレストラン「精養軒」に入り、ランチコースを注文した。この精養軒は子どもの頃からいえばもう何回来ているのだろう。窓から不忍池が見える。二人でゆっくり食事の時間を楽しんだ。

食事を済ませ、だらだらと坂道を降りて、不忍池へと向かう。池の真ん中に張り出している弁財天のお堂までゆくと、お正月なので青色の谷中七福神ののぼりがたち、大勢の人たちで混雑していた。お参りをして、古い御札を納め、新しく御札を求める。

回りの池の景色をみていて、不思議に思ったのは、二年前の家計簿を見ると、一月十二日にこの不忍池に来ているが、その時、池にあんなにごちゃごちゃとたくさんいた親鳥と子鳥の群れが、この七日は、ぜんぜんいないのだ。探すと親鳥が広い池に一羽、ニ羽と水草の枯れた中を泳いでいるだけである。少しばかりの時期のずれの問題なのか。私の思い違いなのか。

参道を戻ったところの道に続く長い階段の手すりを頼りに一歩一歩苦労して上りきると、西郷さんの像に繋がるひろい桜並木の道に出た。目の前に寛永寺清水観音堂の赤いのぼりが見えていたが、これ以上の階段は無理なのでAさんだけが上り,私は道路脇の大きな石に腰掛けて待った。

桜並木の道を公園の中央、鳩広場に向かって歩いてゆくと、十数人の男女の人だかりがあり、右の林の中を指差して何かを見ながらあれこれ言っている。傍にゆき、足を止めて林の方を見る。生まれたばかりに見えるとても小さくか細い体の子鳥があちらこちらの枝に移って動いている。あれはエナガ、とか四十雀とかの声があがっている。清水の流れている小さい溝で水浴びしているのもいて、とても可愛らしい。

集まっている人たちがそれぞれ親しげに会話をしているので、隣の六十半ばの男性に、「ここにいる人達は野鳥の会の方ですか」と聞くと、「いえ、違います。上野公園が好きで毎日のように公園に来ている連中で、いつの間にか顔見知りになって、名前を教えあったり、挨拶をするようになったりしてしまいました。」という。その男性は歩いて来られるそうだが、電車で大分遠くから通っている方もあるとか。

公園なので手入れはゆき届いているし、美術館、展覧会などの建物も点在していて、もし家が近くて、家の庭の延長と考えたら素晴らしい環境だと思った。暫く雑談を交わしていたが「今は、日が照っていて暖かいですが、日が陰ると急に寒くなりますからお気をつけて」と注意された。

帰りがけ、何時ものように動物園横の「鶯だんご」屋に寄る。緑、白、黒、の三色のお団子は昔と少し味が違うような気がするが、休憩して一息ついた。
時間の余裕があれば公園内の展覧会を一ヶ所観ましょうと言っていたのに、人並みに公園の中をぶらぶら歩いただけで満足してしまい省略する。三時半、上野駅で二人左右に別れて帰途についた。

翌日、公園の管理事務所に電話をかけた。「二年前の同じ頃たくさんいた池の鳥達が殆どみえなかったけれど、どうしたのですか」と聞くと「餌をやらないので、よその池に行っているのでしょう」との返事が返ってきた。

 H22/02

 

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