習字

 「明日、鳩居堂に寄って紙を買って、夕方おばあちゃんの家に行くから」と前日、長男の娘、孫のS子から電話があった。
 少し前、一月に結婚式を挙げるS子から、教会で挙げる式で読む「誓いの詞」があるが、お手本の紙に書いてある文面に加えたい言葉があるので、それを足して、誓いの詞を墨で書いて欲しいという。

 とんでもない、お習字をしていたのは十二、三年も前、それも大きな紙に大きな字を気分のままに続け字で書く近代詩文の書や行書である。かしこまった楷書は下手なのがはっきりして全然駄目だからと断わったが、如何しても書いて欲しいという。

 嫁の親と姉妹は近くにおり、孫の衣装、その他の相談に乗っているらしいが、離れている私には用がなく、このお祝い事になにか役目をくれようとした好意なのかもしれない。記念になるからとも言われ、結局断われずに引き受けた。

 その日、S子は婚約者と一緒に現れた。彼と会うの二度目だが、飾り気のない良さそうな人で、いい人に出会ったと思っている。書き汚しもあるからと紙を五枚預かった。

 翌日、久しぶりに戸棚の奥に仕舞ってあった硯を出し、自信の無いまま習字を始めた。先ずお手本のように「誓いの詞」と大きく書き、二行目からは「わたくしたちは夫婦として、順境においても逆境においても・・・」と続く。字数は多くないが、十行ほど書く。仕上がったものは思ったとおり、我ながらいじけた、年寄りじみた嫌な字だ。



楷書らしいもっとカッチリとした字が書けないものか。紙を眺め落ち込んでいたが、やがて久々に字の練習と思って、紙を買い足せばいいではないか、気楽にゆこうと思ったら、たちまち貰った五枚を使い果たした。

翌日紙を買うため、久ぶりに銀座へ行く。昔、足を運んだ鳩居堂では、中年の落ち着いた男性の方が応対してくれた。私は書き損じた紙をみせ、このような紙が欲しいというと、紙を出してきて、自ら筆で五、六字書いてみせた。うまい。流石だ。私の書いたものは墨が薄く、にじんでいるので、もっと濃い墨で書くようにと教えられる。これだけでも此処に来た甲斐があった。美濃紙と奉書の紙を何枚か買って外に出た。

目的の用をすませ、私は久々に銀座通りの和光前の角に立っている。そばに地下鉄の入り口があるが、ここまで来てすぐ帰るのは惜しい。道の反対側に渡り、三越の八階行って食事をした。食事を終わってデパートの中をあちこち見ながら下に降りる。やはり銀座、飾ってあるものが垢抜けている。

銀座の三越は若者ばかり相手のデパートと思っていたのに、年配向きのL判コーナーもあり、前を通ると店員が声を掛けてくれる。地下の食品街では長い行列があり、つられて私も並び、出来立ての「たねや」の栗入り大福を買った。珍しく銀座に来る用事があって新しい風に触れた気がした。

 翌日から又習字にかかる。余裕の紙を買って前よりずっと気楽に書いているはずなのだが、依然としていじけた字が並び、気に入らない。

 昔、一緒に習字へ通った師範のYさんに電話して今の状況を話す。彼女は「私だったら引き受けない。この年になって楷書なんて無理よ。実用書道はしなかったし」と言う。次男がやってきて「そんなにがんばらなくて、適当でいいではないか」とあきれる。

 結局、一週間位だらだらと書いたが変わり映えせず、始めから実力が無いのだからと、そこであきらめて止めた。

 翌日、書き溜めた十数枚を並べて、中から三枚選ぶことにする。一枚、一枚欠点の多いのから外していったが、結局最後の方に書いたものが三枚残った。

 たまに追われて緊張するのも私の生活には大事なことだったのかもしれない。

H19/1

 

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