居間

好きな場所は何処かと聞かれて、今まで行ったことのある近くの公園、箱根、京都といろいろ思いを巡らしたが、好きな場所と言うには当てはまらず,どうしても今、書き物をしているこの居間に思いが戻ってくる。

私がいるこの十三畳ほどの板敷きの居間は、この土地に建てた最初の小さな家の中心に位置していて、当時、居間兼食堂、兼台所となっていた。家族は帰宅すると「ただ今」と言って皆ここに顔を出した。

暫く経って家を建て増す時、部屋の北にある台所を隣に移し、北側に大きな窓を付けたので、南北、風通しのいい部屋となった。



この北側の垣根の後ろには当時、地主の建てた十坪ほどの貸し家が三軒あり、若い夫婦が入れ替り立ち替わり入っていた。離婚して、五、六歳くらいの女の子二人を連れたお父さんも住んでいたが、上の子は毎日洗濯物を干していた。
貸家は年と共に古びて壊され、今は畠になった。同じ頃建った私の家は、二,三年毎の補修は欠かせない。

南側には、私の家と同時に建てられた二階家が在る。先に買ったこの家の庭の南は道路になっており、その裏側の家の私は、日当たりのいいこの家を羨ましく思っていた。しかし、今になると、この後列の家というのが良い。前だったら其処を通る人の目を警戒して私はいつもカーテンを閉めているだろう。そして南の家の人達から私の家の中がよく見えるのは有り難い。

引っ越した当時、南の家の夫婦は二十代だったが、七十歳代の親夫婦も別棟におられ、フエンス越しに世間話をしたり、お花を貰ったりしていた。その娘、今六十代の奥さんが殆ど毎日洗濯物を干しているのが居間から見える。私の家の雨戸が、昼近くなっても開かないと、隣家から声が掛かかったりする。

居間の中は以前と殆ど変わっていない。絵描きだった義姉の形見の画と、元気をくれるような色彩の片岡珠子の版画が壁にかかり、私が若い頃刺繍したクッションや、誰かに貰った旅行の細々とした土産物、本が雑然と棚にあり、昔からの使い古した家具が置かれている。

先月、木枠の付いた居間の掛け時計がどうしても動かなくなった。裏に張って在る小さい記録紙をみると、昭和五十年に買い二年ごとに電池を代えているが、三十年間其処に置いたまま手入れをしたことがない。特別上等というわけでもなく今時こんなカチカチと進む時計はやめて買い換えたらどうかと息子に言われた。

しかしこの時計を夫婦で銀座の和光に行って買ったときの状況を思い出し、和光に電話をかけると、送ってみてくださいと言う。結局九千円足らずで丁寧な係りの方の応答とともに木枠が綺麗に磨かれ、厳重に包装されて戻って来た。

こんな家の中で、夏はクーラーに頼り、冬は居間の真ん中に炬燵を出して、新聞やテレビを見たり食事をして暮らしている。「贅沢な暮らしよ」と姉に言われている。


課題  好きな場所
H19/02

 

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