小学校の音楽会



私立小学校二年生のとき、音楽の先生が音楽室で、希望者にピアノを教えるようになり、私も親に言われるまま参加したが三年生で、脱落。やめてしまった。

しかし五年生から私の仲良くしていたY子さんが小学校のピアノ教室に入った。家が近く毎日一緒に登下校している。しかも母親たちの出身地が長野・直江津で、実家が同じ、信越線の沿線だといって、仲が良い。

改めてピアノ教室に復帰した六年生の時の音楽会は、Y子さんとの連弾だった。母親たちは張り切って二人にお揃いのピンクの洋服を新調した。私達は苗字が同じなので、プログラムを見た人は双子かと思っただろう。曲は「魔笛」のほんの一部分だが、孫が小学生の頃習っていたピアノのお稽古と比べると、格段に易しく出来ている。



音楽会の前には、練習のため、先生のお宅にバスに乗ってゆく。先生の家で、この時代は、あまり縁のなかったサンドイッチを、昼食に出して下さるのがとても楽しみだった。

音楽会の会場はいつも、日本橋の三越劇場である。ピアノだけでなく全員参加の劇も加わる。全員四十人くらいか、私は十人くらいと一緒にオットセイのお面を額にかけ、紙を切り抜いたサキソホーンを持って踊った。魚の人達もいたので海がテーマだったのだろう。

この時、同級生の中の普段あまり目だたないKさんが突然、白い帽子に、白い水兵服を着て舞台の中央に飛び出し、「かもめの水兵さん」を歌い出したのには驚いた。張りのある声で、とても上手だった。

後年、小学校のクラス会で「かもめの水兵さん」が話題になった。彼女Kさんは、「昭和、平成時代の俳優、映画監督、山村聡「明治43年生れ」の妹で、このステージは山村聡がプロディユースしていたそうだ。

今、老人ホームに入って思うのは、その頃、家にピアノがある家は少なかったのだから、ピアノが特別上手でなくとも真面目に続けていれば、今、ホームの簡単な合唱のお手伝いくらいは出来たのにと、すごく遅まきながら後悔している。




H26/07
 




 
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