映画「最後の早慶戦

 前からこの題の映画が気になっていたが、親類のものが良かったと書いているブログを読んで、どうしても行きたくなった。九月末、新百合丘の映画館でやっているのを知っていたので調べると、もう夕方六時五十五分からの一日一回だけで、それも明日まで、となっている。明日は都合が悪く、終了は夜九時ごろになるが、タクシーを使えば行けると、すぐ出かけた。

どうして私が行きたかったのかというと、母が、その時代の流行の先端をきっていたのか、娯楽が少なかったのか、六大学野球を見るのが好きで、シーズンになると私たち姉妹は母に連れられて神宮球場に六大学野球を見に行っていた。母一人では行き難かったのかもしれない。父とは行った記憶がない。

私の実家、池袋の家には中学を終えて田舎から上京してきた父や母の甥達がよく出入りしていた。兄が大学を終えるころ弟が上京してやってくる。大学はいろいろだったが早稲田が一番の人気だった。立教大はいなかったが、池袋に学校が在り、何となく贔屓にしていた。有名な応援歌は今も大体歌える。



この映画は、戦争のため、昭和十八年、六大学野球リーグは解散になっていたが、戦地に赴く学生をいたわり励ますため早慶戦をさせたいとする慶応大の小泉塾長の申し入れに対して、早大の田中総長は軍部の学校に対する介入を恐れて、きりきりになるまで反対。結局神宮球場でなく、昭和十八年十月十六日早稲田の戸塚球場で両校の出陣学徒壮行試合をした話だ。

それほど悲しいばかりの話では無いのに、見ていてやたらに涙がでて困った。殆ど生還の見込みの無いと知る戦地に赴く直前の休暇で、自宅に顔を出す若者。やっと思いが叶って両校の選手がユニホーム姿でグランドに整列したとき。試合の決着がついて、それまでの敵味方の応援団がお互いの応援歌でエールの交換をするところ。それから五日たった十月二十一日、もう何回も見ている映像だが、神宮外苑競技場で行われた出陣学徒壮行会。きりりとした顔で雨の中を行進してゆく出征学生の姿を見る。女子学生は周りの観客席を埋めて見送った。

この稿を書いているとき、間違いがないようにとヤフーで「出陣学徒壮行早慶戦」と「学徒出陣五十六年目の証言」項をみた。神宮外苑で見送る五万人、と書かれた写真の中の一枚に、お下げ髪に白いブラウスを着た私の同級生数人の顔がはっきりと写っている。体操の時間に私と肩を並べていた韓国の李さんの顔もあった。

最終日に近いせいか、年配者四人、若者四人の観客席だった。

(十月九日号の週刊文春に新資料として、小泉塾長自身の申し入れは無く、むしろ開催には消極的で田中総長に通じるものだったと書かれている。)
 
H20/10

 

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