歳月

この秋の女学校クラス会の電話がかかってきた。世話役が来られそうな人、十二人に電話したら、全員が一応出席予定の返事だったそうだ。受話器を置いてすぐSさんの顔が頭をよぎる。

 Sさんは私とは小学校、女学校が同じである。周りから気取りやさん、と言われていたが私とは仲が良かった。

Sさんのご主人はお祖母さまの家を継がれたので、新婚早々、彼女は大船駅の近くにある洋館造りの大きな家に住んでいた。この家は外国式にご主人が一切の経済を仕切っていたようだ。彼女は良妻賢母型でクラス会は度々早引けしていた。

五、六年前、大船駅周辺が繁華になり過ぎたので鎌倉に越したと言う知らせを受けた。早速其の家を訪問する。今度は百坪の閑静な住宅地に近代的な木造家屋が新築されていた。広いリビングのソファーに腰掛けると、植木屋さんが苦労して造ったという整った庭が見える。ご主人は退職されて家におられたので私は初めてご挨拶した。

鎌倉に越してから、彼女からの電話が頻繁にかかるようになった。以前していた編み物や俳画をやめたので、他のお稽古をするように勧めたが、行く気配は無かった。そして電話の内容がだんだんとおかしくなってくる。昨日、電話を貰ったばかりなのに、「お久しぶりね」と言う。話題が極端に狭くなった。「大船にいた時の知人にこちらの鎌倉で会った」という話を、同じ電話の中で何回もする。



 何ヵ月か経つうち、いつの間にか彼女から電話が来なくなり、こちらから電話をしてもいつも留守の状態になった。幾度か電話をしているうち、運良くその時実家に来ていた息子さんと話が繋がった。

「父が三ヵ月前、急に亡くなって、それから母を湘南にあるグループホームに預けました。近所の方はずっと前から母の様子が変だと気が付かれていたようですが、私は母がおかしいのに全然気が付きませんでした」と言う。この長男さんはすぐ近所に住んでいて、良く顔を出していたはずなのに、身内の者は年寄りの物忘れくらいにしか考えていなかったらしい。

 暫くして息子さんに許可をもらい、私はその湘南にあるホームを訪ねた。何処にでもあるような普通の二階家である。ホームのヘルパーさんに呼ばれて玄関にいる私を見つけたSさんは「Mさん」とすぐ名をいって嬉しそうだった。
 丁度この日はこのホームの誕生会があった。ヘルパーさんに、折角いらしたのだから誕生会に出席ください、といわれ、私も彼女の隣に座わり、十二、三人のパーティに加わった。彼女は「この方は私の女学校時代の友だち、Mさんです」と三回も皆に紹介した。

誰もが知っている歌を合唱した後に、お祝いのケーキと紅茶が配られた。私の前に其れが置かれた途端、Sさんは自分のケーキをヘルパーさんの前に差し出して「私は結構ですから」と言う。私の飛び入りでヘルパーさんの分が足りなくなると思ったのだろう。「大丈夫ですよ」と言われて戻したが、こんなことが素早く出来る気遣いの言葉や行動は以前のままだ。ホーム自家製の作り立てケーキは市販品よりずっとおいしかった。

彼女の八畳位の個室で暫く話をした。詳しくご主人の倒れた時の様子、此処での暮らしを聞く。時が来て帰る時間となる。玄関は常時閉まっていて、彼女は自由に外出できない。玄関で別れようとしたが、彼女はどうしても途中まで送ってゆきたい、と言う。以前は大船や鎌倉の駅まで送ってくれていた。ヘルパーさんはとうとう近くにあるあの大きな看板のある所までね、と折れた。

二人きりになり、のびのびとした気持ちで道を歩く。東の方を指して、私の家の鎌倉はこっちの方なのよと言う。看板のところまできて私が別れようとするが「いいのよ」と帰らず私に付いてくる。仕方なくそのまま喋りながら歩き、次の角でもうながしたが帰らない。とうとう大通りの近くまできてしまった。

二人で歩けたのは嬉しいが、今度は私が逆にホームまで送らなければと、考えていると、来た道の遠くから、さっき見送ってくれたヘルパーさんがすたすたと大またで歩いて来るのが見えた。私たちの所までくると、「丁度いい所で会ったわね」とSさんに言い「さあ帰りましょう」というとSさんは素直に従った。

それから三年経った。年賀状を出すがいつも返事はない。どう過ごしているのか、思いきって、ホームに電話をしてみた。ヘルパーさんは私のことを覚えていた。「Sさんはお元気ですよ。息子さん方も良く見えていますし」といったあと、傍にSさんがいますから、と言って彼女と代わった。「Mさんね」と昨日も私と長話をしたような明るい声が返ってきた。「此処は方々に連れていって下さるし、食事も美味しいし」と言う元気そうな声に、私も調子に乗って、つい、近いうちに又訪問するかもしれない、と言ってしまった。

電話を切った後、すぐ後悔した。以前と違って、今の私は、一人で湘南のホームの家にゆく体力が無く、とても無理だ。彼女が私の行くのを楽しみにしていたらどうしょう。

翌日、ホームに電話した。昨日のヘルパーさんに、その旨を話すと、「大丈夫ですよ。Sさんはもうすっかりそんな話は忘れていて期待していないはずですよ」という答えが返ってきた。
 
H20/11

 

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