植木の手入れ


十一月の半ば、何時もの父子の植木屋さんが三日間入った。もう二十数年、来て貰っている。全体が大きくなりすぎたので、小さく、といつも注文をつけるが、限界があるようだ。同じころ植えられた前隣の家のびわも大きくなり私の家の木と交じり合っている。実を頂くが市販のより味がいい。土地の安い頃求めたので、私には広すぎる庭だが、今風の、殆ど車庫分しか土地の余裕のない家をみると、私の家はぼろ家だが、すごく贅沢をしているような気がしている。



この植木屋さんを紹介してくれたのは四年前になくなった友人Nさんである。「私のH・P、17・9月」。

去年、この植木屋さんがきて、Nさんの家のあった百合丘の七十坪あまりの土地が売られ更地になっている、良い木があったのにと、残念がっていた。今年聞くと、その場所に二軒、新築の家が建っているそうだ。

富士山も見え、眺望、抜群で、得がたい場所だったのにと、よその家ながら、売られてしまって私も残念な気がしている。前の東京の家から移してきたという見事な藤の棚や、ひらひらと穏やかに泳いでいた池の赤い金魚が眼に浮かんでくる。近くに息子娘さん方がいても、一人住まいが淋しくて身の置き場のなかったようなご主人は、一年前、湘南の海近くのマンションに越された。元気に新しい生活をされていると先日電話をいただいた。しかし新百合の街はよかったと、時々、思い出されているとか。

草取りですら出来ない私からみると、植木屋さんの労力はとても大変に見える。道路に出て外から植木やさんの働く姿を眺めていると、お隣の奥さんが「柿をあげましよう」といって出てきた。私の家にも柿の木はあるが、西北の隣地との境の土留めを直してから、殆どならなくなった。たくさん頂いた柿は皮をむいて冷凍にする。夜は植木屋さんが袋に入れて渡してくれたむかごのご飯を炊く。
 
H20/12

 

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