老人ホームに入る



五十年も住み慣れた生田の家で、ヘルパーさんの助けをかりて、最後まで一人で気楽に過ごすつもりだったが、今年の二月から出来なくなった。そこで老人ホームを探すことにした。  

先ず思い出したのは、去年九十一歳で亡くなった私の姉が晩年の約二年を過ごした多摩川べりのB社の老人ホームである。姉は、胸や腰が痛くなり病院にゆくと、骨折していて、二十日間大病院に入院し安静にしていたら、全く歩行できなくなり、老人ホームに入った。私は車椅子の姉を時々見舞いにいったが、お世話をしている職員の女の子がとても感じが良かった。姪に聞いてみると、とても私の手の届かない費用だった。

どうやって自分にふさわしい老人ホームを探したら良いかと、インターネットや、老人に関係する雑誌で、老人ホームの場所や、入居金、月々の支払い料金を調べる。

二月、三月は、まだ長男が入院中なので、老人ホーム探しは、私と次男と姪が主体となった。

私は、永年住んで、様子のよく分かっている小田急線の新ゆり、町田あたりの老人ホームが良いと思った。老人ホームにはいろいろあるが、屋台骨がしっかりした、途中で倒産などしない処と思う。そして町田付近にある老人ホームを訪問してみて判ったのは、同じ会社の老人ホームでも内科の病気治療用や身体機能の回復用など、それぞれのホームにある設備が違っていたり、健常者と痴呆や寝たきりの人を分けて入居させたり混在したり、特徴を持っていた。相模原には入居金七十万という安いホームがあったが、半分、自炊なので八十八歳の私には向いていない。入居金に大差があっても毎月の支払いにはそれほど差がないように思った。

町田には、デパート名の文字も見える駅に近い老人ホームがあった。B社のものだが町田となると入居金は東京より安く、手が届く。これなら徒歩でもデパートまで往復できるかもしれないと思い、体験入居(6泊7日、以下同じ)を申し込んだ。

しかし、その頃、長男が退院した。町田なんてとんでもない。家からの往復に時間が掛かりすぎると、長男の家近くの、東横線又は横浜市営地下鉄の沿線の老人ホームに決めるように言う。すると次男までが自宅の磯子からも交通が不便だからと、長男に賛同した。体験入居をキャンセルした。

長男の家のある川崎市高津区あたり一帯は何年か前、新しく開けた地域で、いままで私には全くなじみが無い場所である。しかし、私が七十歳なら子の言うことを聞かず、町田を選ぶが、九十歳も目前の今では子に従うのは仕方がない、と思った。

結局、次ぎから、長男の家を中心の老人ホーム探しとなった。私、長男、次男と三人でこの辺りの七、八ヵ所のホームを見学する。駅から歩いて二、三分のとても繁華な処や、ぐっと奥まって、開発中の静かな場所も訪ねた。そして、最後に有力候補としてABCの三ヵ所の老人ホームに絞った。



Aは東横線沿線にあるが、入居金は四桁に少し届かないくらい。A社に予約を入れて、ホームの契約候補となる部屋を案内してもらった。

「この部屋が今回お入りいただく予定の部屋です」とひとつの部屋の鍵を開けて中を見せた。部屋の中は空ではなく、現在人が住んでいるような状態で荷物が雑然と置いてある。私たちが不思議そうにしていると「ここの方は、昨日病院でご逝去されました。まだお葬式は済んでいません。三、四日中には片付けて綺麗にします」と言う。

事実はそうであっても、もっとほかの言い方が出来なかったのか。老人ホームなのだから、大体がそんな事情で空き部屋になるのだろうが、客に対してのその無神経さにあきれた。たった一人の従業員のことで全体のことを決め付けはしないが、違和感を持った。広間にあった動物絵も私には嫌な絵だった。それでも、A社の関連ホームに入った友人は食事が美味しい、と言っていたので、ここも体験入居するつもりだったが、日程の都合で出来なかった。

体験入居した二つのホームのうち、最初のB社のホームは、東横沿線にあり、この二月に新築したばかりの綺麗なホームである。床はどこもじゅうたんが敷き詰められていた。入居金は四桁すれすれになる。既に四十人が入居していた。個人の占有面積は広く、自室のトイレは板で仕切られている。

ここの広間食堂での食事は、男女の区別なく、四人掛けのテーブルの空いている椅子に座るので、毎回、食事のときのメンバーが違う。「夫が競馬の馬を二頭持っていた。」と言っていつも競馬の話しをする女性や、「この近くに工場を持っていて時々見に行く」という男性。食堂での雑談の中で「息子や娘に、とてもいい処が出来たから一軒家から移るようにと言われ、高級なアパートかと思ってきてみたら、老人ホームだった。費用は自分達が出した」と、にがにがしい顔で言ったご夫婦が二組いた。

同じ内容の電話を三回息子にしたら、即、ここに入居するよういわれ、うっかり入ったら、近いうちに自分の家が売りに出される話を聞き、明日、談判へ行くと言う女性もいた。この人は呆けているどころか、ホームでは気の弱そうな方に気配りをしているしっかり者である。同居の娘が勝手にここへ入れたと、毎日、帰り支度をして、玄関で職員ともめている女性。息子に田舎から呼び寄せられたが、周囲となじめない様子の女性もいた。レストルームで七、八人でトランプのババ抜きをしたらババ抜きの出来ない方も混じっていた。私の部屋の周りは健常者ばかりだったが、どんな部屋の配置になっているのか知らない。

外出は、家族と一緒以外は、大分厳しく規制しているようだ。自分の意思もあってだろうが、入って二ヶ月間、全くホームの外に出ていないという方が多かった。事故にとても慎重なのだろう。

次に体験入居したC社のホームは、入居金がBの半分以下のところである。建物が古く、部屋は見学をした中でも一番狭い。しかし、ホームの前には奥深く広がる公園があり、竹林や大木の林、池がある。その傍には、木洩れ日のさす木陰の道が、私の足でも徒歩十数分の駅まで続き、その下には乳母車を押した女性や、ジョギングの人々が行き来している。まずこの環境が気に入った。

私は健常者ばかりがいる四階の部屋に体験入居をした。食事は、大体、男女別になっていて席が決まっている。私の場合、同席の八人の女性が、食事ごとに会って雑談を交わす。女性でも特技があって、過去に先生と呼ばれていた人も多い。

ここには「誰も一人ぼっちにしないよ」とい言って、皆に声をかけている入居者の女性がいた。私と同い年の方だが、男女に関係なく、立場の心細そうな人には殊更、励ましの言葉をかけている。体操の時間には指導者の横に出て体操し、大きな声を出して皆のお手本となっている。これは、私が全く持っていない才能、資質である。みな仲が良く、食事のとき一階に下がるエレベター中はいつも賑やかだ。

また、健常者とそれ以外の人との生活エリアを分けているので、目や耳に入るトラブルやストレスが少ない。ホームが許可した者は、簡単に外出できる。

職員の方々は、細かい所にも気を配ってくださり親しみやすい。積極的に、声かけをしてくださり、安心感があった。
この中に入ってこれからの暮らしを任せて良いような気がした。

設備が古く、欠点もあるが、五月からこのホームに入居した。
これで良かったのかどうか、暫く入居してみなくては分からない。しかし、いまのところ不満は無い。





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