老人ホーム


この四月、八十九歳の姉が体のあちこちを痛がり、病院に行くと二、三ヵ所骨折していて、半月入院したあと歩けなくなり、老人ホームに入った。

 場所が東京だけに、ホームの月々の費用は高く、姉の年金ではとても足りないが、頭金が無く、姉の年齢やホームの条件をいろいろと検討して、息子たちが此処に決めた。一番良いのは姪の家から車で十分の距離で、姪が頻繁に顔を出していることだ。甥は横須賀に住む。

九月、姪と駅で待ち合わせ、一緒にこの老人ホームを訪ねた。私が行くのはこれで三回目となる。建物は新しく、全体が明るい。姉がいるのは二階の十畳位の個室である。行ったとき、丁度これから体操とおやつの時間が始まる時だったので、皆の集まっている広間に行って様子を見ることにした。

広間の入り口にゆくと、男女の入所者十数人が円形に腰掛け、男女の若い介護士三人が手伝ってこれから体操をするところだった。遠くの席に座っていた姉はすぐ私に気がついて私の方ばかりを見る。先ず簡単な体操を十分ほどする。傍らでみていた私も姪もその体操に参加した。

続いて、入所者が椅子に腰掛けたままの、大きなボールけりの遊びが始まる。姉には出来ないのでは、と思って見ていると姉の前にも何回も玉が飛んで来て、それに応じて両足を不十分ながら動かして蹴り返しているのに驚いた。
一月半前、私がここに来た時には、全く足が動かなかった。動かしてみて、と言っても微かにびくりとするだけである。姉は「足が無くなってしまった」といっていた。現在ここで治療して貰っているマッサージの効果なのだろう。

次にボールが十回目に当たった人は動物の名前を言うように言われ、姉も十回目に当たると猿とか虎とか答えていた。既に名の挙げられた動物を又言ってしまい、直されている。少し前の姉なら、こんな遊びは簡単過ぎて嫌がっただろう。



入院前から少し始まっていた姉の認知症は老人ホームに入ってから急に進んだ、と姪が言う。考えると一年前、姉は自分で電話をかけ、私と殆ど普通の会話をしていた。しかし毎日のように電話のやりとりをしていた小学校からの親友が亡くなってから、急に元気を無くしたように思う。

これまで、隣に一人で住む姪と夕飯は一緒にしていても、朝昼の食事の支度から片付け、洗濯など一応自分のことは自分でやっていたのに、骨折してから殆どホームで寝ているだけで、移動は車椅子を押してもらう生活になった。食事の量が減り大分やせた。

個室に戻り、午前中訪ねてきたと聞いた姉の息子夫婦の話をすると「言われれば来たような気がする」と言うだけで、はっきりとしない。しかし、私がプリントして持って行った私のH・Pの文を何種類かを読ませると、これは難しい字も間違えずに声を出してすらすらと正確に読む。この辺りは健在だ。

姉はいつ自分が家に帰れるのかと私に聞いてきて、未だ自分の置かれた状況をつかめないでいる。少しの期間でも家に帰れたらと思うが、まるで歩けない姉では、誰かの援助を得たとしても、隣にいる一人住まいの姪の暮らしが壊れて苦労する。可哀そうだが此処は親である姉が引かなくてはならない時かと、私は考える。

私の家に週二回来ている私のヘルパーさんにこの話をすると、家で寝たきりになった人でも毎日四、五回交替して訪問し、世話するので、自分の家にいられますよ、と言う。しかし、私の老い方の状況で、どうしたらいいか判断するのは息子たちだろう。

いずれにせよ、タクシーを贅沢に使って、自分の希望のまま過ごせる今の時間を大切にしよう。

 
H21/10

 

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