武相荘


十月の終わりの秋日和に、友人と二人で白洲次郎、正子夫妻の住んでいた鶴川の武相荘に行った。

白洲次郎の活躍はテレビでも放映されたが、終戦時の進駐軍の圧力にもめげず、従順ならざる日本人として、講和条約を結ぶにあたって、当事の吉田首相の大きな力となった人である。

武相荘のある鶴川駅は私の家の最寄駅から四つ目にあたる。最初は友人に案内され、あとは友人を案内して、此処に来るのは三回目となる。駅から歩いて十五分位の距離だがタクシーに乗る。

大きな黒ずんだ年代物の歌舞伎門をくぐると奥に大きな茅葺の農家風の建物がある。先ず奥にある母屋の入り口から、上がり、案内の矢印のままに進み、各部屋の展示物を見る。



各部屋には、着物や帯、茶器などのお道具、がたくさん展示されている。どれを見ても趣味のいいものばかりだ。さすが伝統ある家柄の方々の好まれた品々はしっとりとして落ち着いている。   
               
裏側の奥まったところには書き物をされた仕事部屋があり、文机がおいてある。私の年代の者がよく知っている表紙の、戦前の全集本の入っている本棚がいくつも並んでいた。応接セットや家具の調度品が当時のままに置かれた洋風の居間は、ご夫婦の姿が今も見えるような雰囲気になっている。其の時代の斬新な暮らしをされているお二人の若い頃の写真をみてから、外に出た。

前回来た時、美味しかったので、この日も喫茶室のお弁当を予約していた。西洋料理の、重ね箱に、スープとコーヒーがつく。ローストビーフもグラタンも海老も味の良いものがほんの一口ずつなのが良い。

食事を済ませ、庭の奥にある竹林の横を通り、裏の林の中にある石段の坂をのぼる。前二回来た時はなんとも思わなかったのに、今回は石を並べた階段が転びそうで、怖そうに上っていたら、後ろから来た中年女性数人のグループから声をかけられた。「私に捕まって」と抱えられ、もう一人は私の杖代わりのカートを持ってくださり、坂を下りた。このごろはこんな親切を受けることが多くなった。

入り口近くに建てられた売店に寄り、幾つかの品を買い、帰途に着いた。
 
H21/11


 

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