幼い頃

 物心のついた頃、私は池袋の西口の家にいた。道路の反対側には鉄道教習所の広いグランドがあり、父母と姉そして新潟から来て家事を手伝っている女中さん「きみや」がいた。

私はきみやに負ぶわれてねんねこの中でぬくぬくとしていた感触は今でも覚えている気がする。私がねんねこから半分顔をだしている白黒の小さい写真があったせいかもしれない。小学三年生の頃田舎に行くと、このきみやが自分の子どもを連れて会いにきたが、何だか懐かしくて涙が出て困った。

 この家には新潟県の親類の大学生が二人下宿していた。一人はなんの愛想もなかったが、もう一人の滝沢という学生は私が部屋に顔を出すと部屋の中に招きいれ、女の子や花の絵を描いて遊んでくれた。肩に乗せて外を散歩したり、たまには屋台の風車を買って持たせてくれたりして可愛がってくれた。ある日其のつもりでその部屋に顔をだすと、何だか様子が変な気がしたが、それから暫くして彼は田舎に帰っていった。後で聞くと鬱病のようなものにかかったらしい。

秋になると鉄道教習所のグランドでは、大運動会があった。その前になると練習も盛んで「教習所の運動会は・・・ドンガラガッカドン,ドンガラガッカドン、ドンガラガッカドンドン」という、歌と太鼓の混じった景気のいい応援歌が毎日のように聞こえてくる。これはすぐに覚えて、今でも何かの拍子に其の節まわしが私の中に出てくる。



小学校に上がる一年前、目白駅に近い家に引っ越した。私は目白駅そばにある川村女学院附属の幼稚園に入った。袴姿の保母さんが数人いたので、顔の可愛い人にあこがれたが、そうでない人の方が親切だった。この幼稚園では、心に残っていることとして二つが浮かでくる。

幼稚園は、校長の母親であるお祖母さん先生が園長をしていた。ある時園の入口にある飾り棚に、藤の大きな盆栽が置いてあった。藤の紫の花がびっしりと垂れ下がり、丁度満開となっている。とても綺麗で立派だと思って、眺めていると、鉢を見つけた男の子の一人が先ず一つの房をもぎ取った。其れを見た男の子が次々と手を伸ばし、房をもいだ。忽ち藤は丸裸になってしまった。花は下に散らばっている。

これはとても悪いことなのではないか、と幹だけになった藤の盆栽を見て心配していると、其処に園長さんが来られた。何を言われるかと眺めていると「あらまあ」とあきれた顔で苦笑いをされただけだった。家に帰って早速母に報告した。

もう一つ、ある時講堂で其の頃名前の通ったピアニストが二人来て音楽会があった。女学校の生徒や父兄も集まる。幼稚園には男女二人の花束贈呈の役が回ってきた。母が役員をしていたせいか、女は私が選ばれ、オレンジ色の新しい洋服を買って貰った。当日、本番前に舞台で練習をした。

当日、女性のピアノ演奏が終わり、舞台袖で待機していた私は保母さんに背中を押されて舞台に出て行った。舞台の中央まで行ったのに、ピアニストは全然気がつかず、何か用事をしていて、どうしてもピアノから立ち上がらない。仕方なく舞台中央で立ち止まって彼女を眺めていた。

注意され、やっと気がついたピアニストが慌てて、こちらに走って来たので、花束を渡した。舞台袖に戻った時、「良く泣かなかったね」とか「偉かったね」と褒められたが、どうして泣くのか、偉いのか、どう考えても言われた意味が解からなかった。



 この家には田舎のお祖父さんが訪ねてきた。お祖父さんが自分の持ってきた山芋で料理をするのを家族全員、周りを囲んで見ていた情景が浮かぶ。

日本を訪れたドイツのツエッペリン飛行船が右から左にゆっくり空を横切るのを家族で道路に出て眺めた。
 
H21/01

 

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