お稽古ごと



 三十代の、スカーフの縁かがりから、小人形つくりの内職、貯金の全く無い生活が続いていた。夫の月八万円の給料で私立大、理系に二人の息子を通わせるのは辛いと、其の頃は匿名でもよかったので、朝日新聞の「ひととき」に投書したら、其れが掲載され、叔母様の投書ではないかと、甥から電話が懸かってきたのには驚いた。

しかし息子達が大学を終えて、家を出て行ってからは、暮らしが楽になった。そして其の頃、私に週二回ほどの仕事を得て、役所に行くようになった。収入、数万円だが、夫の稼ぎ以外私の勝手に使えるお金が出来た。

夫は「自分の身につく事なら、なんでも好きな事をしていい」と言う。ブランド品など全く興味がなく、それを貰っても使いたくない方だが、お稽古ごとには興味があって、その頃からいろいろな事に手をのばしてみた。そして興味の続かないものは次々と、捨てた。

日本刺繍、欧風刺繍、柳原教室の料理、織物、日本画、書道、コーラス、陶芸、七宝焼き生け花、茶道など。これらの中で自分に全く向かないと思ったのは、茶道と生け花、どうしてもこの方面は駄目だ。



一番印象に残って面白かったのは、図案教室。花や玩具や景色を規定の条件にはめて図案化するのだが、結局其の出来た図案を利用するあてが無く、一年で辞めてしまった。しかし今取り出して見ても、苦労の跡が見えて楽しい。

何とか七、八年続いたのは絵と書道。書道は一度毎日展に出していただいたが、費用もかかり、病気を機会にやめた。大正琴は、十二年間続けたが体力が弱って大きな演奏会に参加できなくなった。

体が弱っていても、回りの皆さんに助けられ、今も続いているのは、水彩画とエッセイ教室である。お金にはあまり縁がなかったが、私に自由な時間が多かったのは有り難い。


 H22/12

 

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