お盆


春秋苑は私の家から歩いて15分と近い。18年前お墓を求めるとき、春秋苑は浄土真宗のお寺であるが、私の実家の宗旨と同じであり、墓は宗教不問なので迷わず此処に決めた。私の家は神道である。

夫が十五年前に亡くなったとき、既に葬儀に来て、私の家が神道だと十分承知しているはずなのに、その年のお盆には盆提灯が3つ届いた。友人と私の姉妹である。宗教が仏教である姉妹に聞くと、新盆だというのに、何んにも提灯が無いのは私の夫が可哀そうに思えるので、自分達の好みで送ったという。気持のこめられた提灯を部屋に飾った。



春秋苑からは季節ごとに、暮れ正月、春秋のお彼岸、お盆、それに講演会などのお知らせが来る。神道の日常での生活の決まりがよく判らない私は、大体、春秋苑の行事をよりどころにして暮らしている。お盆の頃は、うちの周りの墓は、見事に花が並ぶので、私の家も仲間外れにならないよう、心して花を供える。墓には小さな榊が植えてあるが、彩りが加わる。

私が今よりもっと元気な数年前は、春秋苑からお盆の知らせが来ると、大講堂で、大勢の方と一緒に正信偈を唱え、住職の彼岸の話を聞いた。日常生活から抜け出して、良い事をしたように心が落ち着いた。

今、私の家には白木の神壇があり、夫は其処に○○の命として祭られている。夫を亡くした友人達を見ると朝夕仏壇にお参りし、お花やお水をまめに管理し、何か有るごとに報告しているという人が多い。その点、私は駄目人間だ。頂きものは昔、母が仏壇に遣っていたように、神壇に供えるが、普段はその存在を忘れ、気が付いた時に花を挿し、手入れをする。神壇にはどうしても亡くなった人がいる気がしないのでと、言い訳をしたら、度々思い出すのが大事でそれでいいのよ、と言ってくれた人がいたので、易きについて生活している。

夫は心臓と脊髄が悪く、70歳で亡くなったが、その数年前から歩行困難になり、一人で外出はできなくなった。夫のクラス会にはいつも私が付き添った。情けながる夫に、「私が最後まで面倒を見るから、安心していて」と言うと、「そうはいかない、僕の看病の為に、お前に、数年なり十年なりの無駄な人生を送らせるわけにはいかない。いよいよ動けなくなくなったら、自分でどう身体の始末が出来るかといつも考えているんだ」という。「自殺だけはしないでよ」と言ったが、結局病院で、当たり前の最後を迎えた。

この話を夫の友人にしたら、自分は十五年間、寝たきりの実母の看病をしたが、それはそれなりに意味があったと聞かされた。

現在、故障だらけの体で、周りを見渡すと気に懸かることもあれこれあるが、友人のように鬱にもならず、いまだ楽しいと思いながら日々を送っている。もし、今の私を夫が見たら「うまく人生をを過ごしているね」と言うのではないかと、時々考える。

H17/08



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