目白駅から椿山荘へ


去年まではずっと椿山荘の大正琴演奏会に出場していた。午前中はリハーサル、終了後はパーティーと出ていたが、体力的に無理になったので、今年は近くの友人Bさんを誘い観客となって椿山荘にゆく。

当日、Bさんと小田急線の駅で待ち合わせ、一時ごろ目白駅に着いた。目白駅の周辺は以前とだいぶ様子が変わったが、私は目白、池袋付近で子供の頃をずっと過ごしていたので、目白駅の改札口を出ると、里に帰った気分で、ほっとするものを感じる。

昭和十七年四月十八日、戦争中とはいえ、想像もしていなかったドーリットルの日本初空襲の敵飛行機を見たのはこの目白駅の陸橋の上だった。
学校帰り、友人たちと喋りながら陸橋まで来て何気なく池袋のほうをみると、線路沿いに見慣れない感じの飛行機が一機、低空でこちらに飛んでくる。おや、と思いながら眺めているうちに低空のまま頭上へ来たその飛行機には、はっきりと星の印がみえた。

まさか、と理解できないうちに、飛行機は学習院の上を通り早稲田方面に消えた。「確かに日の丸でなく星だったわね」と、半信半疑で友人たちと話し合っていると、やっと空襲警報が鳴り、敵機だったのがわかった。飛行機は早稲田の辺りで爆弾を落とし被害があった。

駅からタクシーで行くつもりで、陸橋を横切って反対側の道に着くと、目の前にバスがドアーを開けて待っているのですぐそれに乗った。学習院、千歳橋、鬼子母神入口、日本女子大の前を通り、田中角栄邸を過ぎて椿山荘のバス停に着く。昔、この位の距離はよく歩いたものだ。

バスを降りると、左側に関口台の東京カテドラル教会がある。私はキリスト教徒ではないが、この羽を広げたような白い建物には、なんとなく親しみを感じている。ずっと前、義姉とのお別れをここでしたので、そのせいなのだろう。

今までも椿山荘に来たとき、時間が余って、この教会に二回、ふらりと入ったことがあるが、いつも広い教会の中は誰もいなくて、ガランとしていた。

この日は、日曜日のミサをしていて、いっぱいの人で埋まっていた。誰でも入れるので後ろの方で暫く全体の様子を見ていたが、やがて讃美歌の合唱が始まる。大勢で歌う讃美歌はすてきで、もっと聞いていたかったが、途中で切り上げて道の反対側の椿山荘に入った。

目的の大正琴の演奏までまだ大分時間があるので庭園を歩くことにする。椿山荘は江戸時代、上総久留里藩、黒田備前守の下屋敷、明治時代は山県有朋の邸宅だった。私はこの椿山荘にはクラス会などもあり、これまでに何回も来ている。Bさんを案内するつもりで庭園の道順に沿って歩きはじめた。



フォーシーズンズホテルの建物を左に見て、水車のそばをとおり蕎麦処のあたりから坂道になると、二人とも歩くのが辛くなって三重の塔を遠くに見て引き返した。 本館のレストランでアイスコーヒーを飲みながら窓から庭園の景色を眺める。お天気が良いので多くの方が散策していた。庭園の中には、クリスタルチャペルがあり、時にはドレス姿の花嫁を見ることがある。

五階の演奏会場に行き観客席に着く。数グループほど見ていると私の通う産経学園新百合ヶ丘教室の番になり、演奏が始まる。舞台の上は今年、新調した袖の大きくふくらんだ緑色のブラウスに、薄い黄色の花びらに芯が臙脂色の造花をつけた顔見知りの人達が並ぶ。服に合わせるように演奏曲目の中に、「グリーンスリーブス」もある。どの曲も、私も一緒に練習した曲ばかりなので自分も弾いているような気分で身を入れて聴いた。最後の「コンドルは飛んでゆく」まで無事に終わった。
  
今年は胸にきらきら光るスパンコールをつけた衣装が目立つ。モーツアルト交響曲40番第一楽章のような難しい曲をうまく大正琴でこなして演奏しているグループもある。海外演奏もするようだ。しかし大舞台に合わせ、多くがエレキをいれているので、昔の情緒たっぷりのしみじみとした大正琴の音は聞けない。

売店で人形焼きの小さな包みを買い、五時過ぎ、いまだ元気さの余裕を残して帰途についた。

H18/10

 

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