コンパクトな暮らし



障害手帳を持つ私は、週に二回、市からヘルパーさんに来ていただいている。七十歳の時大病をしてそれから十七年経つが、幸い未だ家で独立して暮らせる。

ヘルパーさんに聞くと、介護している方に買い物を頼まれることが多いようだが、家に着いてからお使いに行くのでは、規定時間を大分使ってしまいそうだ。私の場合、まだ歩けるので日常はタクシーで近くにあるスーパーに行き必需品の配達を頼む。若いころのように、都心のデパートをあちこち移動して季節の洋服を選び、好みの有名店の食品を買うことは殆んど出来なくなった。

そこで、家からタクシーで楽に往復出来る範囲にある新百合の大型スーパー、イトーヨーカドーは、一応何でも売っているので、今や、私の生活を満たしている大事な場所となっている。

月二回の金曜日の午前、先ずこのスーパーの六階にある水彩画の教室にゆく。この日はドラゴンフルーツと置物の写生だった。それが終わった後、五階のレストランで、仲間数人と、スパゲッティの定番ランチを頂く。五階で皆と別れ、一人になってから、地下に降り、地下の食品売り場に置いてある緑色の買い物籠を載せる黒いカートを持って、エレベーターで四階に戻る。このカートは重く、安定していてよく動く。これを持っていると、素手で都心デパートの中を歩くより、はるか楽に移動できる。



四階では、目立つように置かれた日用品の新製品を眺めたり、ガスボンベの少なくなったのを思い出したり、気に入った柄の食卓カバーを新調したりする。

続いて同じ四階にある本屋の有隣堂には、自然と足が向く。新聞などで紹介されている新刊本が並んでいるが、もともと文学にはあまり興味が無いので、殆んど其の表紙を確かめるだけになる。それより、今まで家の本棚に溜まっている本を、又、じっくり読み返したいと考えているが、これはいまだ実行されない。

目に付く老後の暮らし方の心得を書いた本はもう私には不要だ。週刊誌と「文芸春秋」は、若いころから愛続しているので、これは必ず買う。
三階に下がって、便箋やボールペンなどを選ぶ。先日は時計の電池を換えた。

二階は紳士物が主体なのでパスをして一階に下がる。
一階で広く展示されている女性用の服は、品やデザインが若者向きで私には向いていない。しかし、その中にある一店だけにはよく足を運ぶ。デパートにあるような高級品は無いが、程ほどの品物を揃えている。女店員とは顔なじみなので、数年前に買ったものでも「うちで買われたものですね。お似合いですよ」、などと声を掛けてくれる。私は十年前の服でも、捨てられず今だ着ているが、たまには今風の新しい雰囲気のものも欲しい。それに、姉が老人ホームに入っていたころ見舞いに行くと、いつも、こざっぱりとした明るい色のブラウスを着ていたので、自分が同じ様な立場になった時の為に、適当なものを用意しておきたい。
 
地下に降り、食品売り場へゆく。売り場は二つに分かれているが、OXスーパーは家の近くにもあるので、専ら、専門店の品のある方へと足を運ぶ。
この辺りで有名な洋菓子店のクッキーを保存用に選び、銘柄店で、好みの餡菓子やお煎餅を買う。此処のパンやのフランスパンは美味しいので、つい手が伸びる。時には、その彩りの美しさに見とれてサラダを買う。お寿司やお弁当を買えば今日の夕食は安心だ。
人々の中に混じって買い物をしていると、一人だけの所帯なのに、明日、明後日のお魚や肉の献立まで考えて、いつの間にか主婦気分になっている。
朝の水彩画の用具に加え、黒いカートの中の買い物はだんだん増えて一杯になってくる。この位が限界だ。
地下食料品売り場の入り口には、緑の籠と黒いカートの整理をしている緑色の制服を着たおじさんが二人いるが、其の内の一人に、タクシー乗り場までの荷物の運搬を頼む。おじさんも馴れていて、直ぐOKが出る。買い物で山になっている黒いカートを押している緑の制服を着たおじさんの後に付いて、私はイトーヨーカドーの前通りにあるタクシーの乗り場に向かう。小さい荷物を持った私はその途中にある十数段の階段を転ばないよう、手摺りを頼りにそろそろと降りる。

タクシー乗り場に着くと、ドアーを開けて待っている車の中に、おじさんはカートの中の大荷物と、私の持っている小さい荷物を、手早くタクシーの中に入れ込こんでくれる。自分だけなら、もたもたとしていて焦るところだ。荷物と一緒に自宅に向かう。こんな暮らしは、この数年続いている。

コンパクトにまとめられたスーパーの小さな世界を頼りに暮らしているが、案外気に入った生活でもある。

課題  買う

 H23/06

 

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