こだわり


今年も、十二月より一ヵ月早い十一月早々、いつものように、冊子六、七種の入ったデパート系通信販売の分厚い封筒がドサリと三種類届いた。先を争うように一、二日違いで来る。

この時期、この封筒に入れられている家具、衣類、歳暮の冊子はあまり関係ないので丁寧には見ないが、それでもこのごろ前のように街を歩き回らなくなった私には、今の世の中を知る情報源となっている。

ここで私が一番よくみるのが正月料理のおせち重箱特集の冊子である。どのページも、名の通った料理店やメーカーが作ったおせち料理のお重が、いかにも美味しそうな彩りの写真となって並べられている。それを見るともうすぐこの年も終わりが近づいてきたのを実感する。



私が若い主婦だった盛りのころは、だれもがそうしたように、正月料理は毎年自分で作っていた。これまでの料理の本があるのに、その年の新しいNHKの「今日の料理」のおせち特集の本を買い、テレビを見て黒豆の煮方を変えてみたり、眼新しい料理を加えて献立を考えたりした。歳末きりきりには気の向くままデパートにでかけ、混雑などまるで気にかけず目当ての生ものや漬物を買い歩いた。
 
父の田舎の実家を整理する時、蔵にあった蒔絵の重箱を貰ったので、其れに手作りの黒豆や野菜の煮物、ごまめ、昆布巻きなどを詰めた。入りきれない料理は普段使わない大皿に盛る。

そのころは庭の金柑が橙色に色づくので、金柑の甘煮もたくさん作った。しかし、今は気候の加減か、暮れになっても青くて正月には使えない。子供の頃、母に頼まれて、力のある父が長火鉢のそばで胡麻を炒って作っていた胡麻味噌。その時代を思い出しながらこれも用意していた。

夫がまめなほうで、暮れの障子の張り替え、庭掃除など引き受けてくれるのでこれは私の守備範囲ではなかった。大晦日のNHK紅白歌合戦が始まっても、女一人の台所では、まだ彩りをそえる寒天の寄せものを作っていたりして、もういい加減にしたら、と声がかかった。

 息子たちが所帯を持ち、夫婦二人のくらしになる。毎年元旦の夕方には孫たちも入って全員十一人集まる習らわしになった。嫁たち二人がそれぞれ料理を持って、私の家に来る。

八分通り作った料理を私の家のオーブンで温めたり揚げたりする。このころはまだおせちの重箱を用意していたが、おせち料理より、嫁たちの作る温かいグラタンや、パイ、春巻き、サラダなどの方がはるかに人気がある。ことに子供達はこんなものしか食べない。
 
 歳の近い五人の孫娘たちは未だ小さくて、私の準備したささやかな福引に大騒ぎをしたり、私たち夫婦が暮れに行ったハワイ土産のムームーを着て、元旦の庭で踊っていたりしていたのを思い出す。

 十八年前、夫がいなくなり、孫たちが順に成人して、私が大病した後は、正月の料理は嫁の用意するものに任せ、一寸した自分用の煮物しか作らなくなった。後始末に面倒な食器は出さない。

相変わらず元旦の夕方には私の家には全員が集まる。あまり喜ばれないのは分かっているが、私の家のお正月には、形として、昔からのおせちのお重が食卓の上に欲しいと思った。そして六、七年年前からデパートの通信販売のおせちを頼むようになる。

見たところはどれも綺麗だが、特別気に入って次の年もまた同じ店のものを頼むということは無い。翌年は京都とか富山に発売元を変えて買ってみる。誰もが少しは手をつけるが大分残る。.

三年前から嫁の負担が少ないようにと、お寿司の出前もとるようになったら、ますますこのお重は食卓の上で取り残される形になった。元旦の朝は各家庭でお雑煮と一緒に適当なおせちが出ているだろうから、私の家のおせちは私のこだわりだけで不要なのかもしれない。 

 去年は、カタログに初めて登場した岸朝子監修という二人用の小さいおせちを選んだ。それほど変わったものが入っているわけではないがテレビで顔を知っている有名人だけにどんな感じのものか、そんな私の楽しみが加わった
今年の元旦は、一番上の孫娘の夫が新しく一人増えた。さて来年の元旦はどうしょう。

八十半ばになって、いまだ一家の主婦気分が抜けない私はおかしいのだろうか。
 
          課題   師走
 
H20/12

 

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