カルミヤの木

            
今年もカルミヤの木にピンクの花が咲いた。この木は私の家の玄関入り口にある煉瓦で囲んだ植え込みの最前列にあり、前の道路に面している。もっと大きくなれる木なのだが、囲いの中で隣にある寒椿と背を並べるようにして植えられている。カルミヤは開く少し前の金平糖のようなかたちのピンクの濃淡の蕾が殊に可愛らしい。赤い細い線のあるピンクの小さい花が、塊となって咲く。

五月の花の咲くころはそのあたりはふんわりとした華やかな雰囲気に包まれ、玄関のあたりにいると、ときには道を通る人に「今年もきれいに咲きましたね。毎年楽しみにしながらこの道を通るのですよ」と声をかけられている。

 この木は、今は何処にでもあり、近所では畑の垣根代わりに植えている所もあるが、私が初めてみたのは、父が還暦の時だから今から六十年近く前である。父の還暦祝いになにか良い物がないかと姉妹三人で考え、父が庭の広い家に越したばかりだったので、植木が候補に挙がった。



 植木のことを夫に話すと、夫が園芸に詳しい従兄弟の大沢さんに声をかけてくれた。夫の従兄弟といっても、夫の母親が十人兄弟の末っ子で、夫は其の母親の四十過ぎに生まれた十人兄弟の末っ子なので夫にはもう従兄弟と名の付く人は、当時夫と二十歳も年の違うこの大沢さん一人しかいなった。

戦前は東海道線の、駅から次の駅まで一駅ぶんの広い土地で花を作り、親の代から園芸業を大きくやってその豪勢な暮らしぶりは評判だったようだ。子供だった夫がパーティに呼ばれてゆくと、その派手さに、渋谷の自分の家がとてもみすぼらしく感じながら帰ってきたと聞く。

戦後、土地を手放すことになり、大沢さんの環境は激変したそうだ。結婚した私が、正月の本家のお年始で大沢さんに初めて会った時は、渋谷の大きな園芸店に勤めていた。飾り気の無い地味な人に見えた。
 「なにが還暦祝いに良いだろうか」と夫が相談すると、「まだ日本に殆ど入ってきていないが、アメリカのカルミヤが綺麗で喜ばれるでしょう」と紹介してくれ、井の頭線三鷹台にある私の実家まで届けてくれた。父とも気が合って度々会っていたようだ。

子供の背丈ほどの小さいカルミヤの木を囲んで、着物を着た父母を中心に姉妹三人の夫婦、それぞれの小学生や幼稚園の子供たち、それに田舎からきていた親類の子や知り合いの大学生など、二十人近くが庭のカルミヤの木と一緒写っている還暦記念の写真がある。 

この写真を眺める時、両親も健在で、私たちも若々しく、これから伸びようとしている仕合せそうな一家の姿がみえる。

この木は父が特別大事に手入れしていた。年を経て、この家に父母がいなくなっても、法事などで実家を訪ねると大きくなって相変わらず花を咲かせていた。しかしこの家を継いだ妹が一人身となり地方にいる息子夫婦のもとに身を寄せてから実家は他人が住むだけのところとなり、この十年行ったことがない。

現在、私の家の玄関前にあるカルミヤは三十年前、家の増築を機会に、夫が渋谷の同じ園芸店から買ってきて植えたものだ。玄関前にあって一年中毎日のようにその姿や変化を見ている私には、長年一緒に過ごしてきた同士のようなものを感じる。そしてどこか若いころの親姉妹とのざわめきも聞こえてくる。

 
H21/06

 

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