海外旅行


蒙古に行っていると聞いていた三十歳の、五人の孫娘中、四番目の子が、小さい羊のぬいぐるみを持ってホームにやってきた。土地の手工芸品で白いフエルトをかがって作られている。高校時代の友人三人と行ったそうで、私の若い時代には考えもしなかった場所だ。

私が最初に海外にいったのは、昭和五十一年の頃、それまで一般の人には難しかった海外旅行が解禁となり、役所の仲間が早速、団体旅行を計画した。約百人、駆け足で、ヨーロッパの主な都市を回った。職場が裁判所なので英国の裁判所を訪問してお話を伺った。一番印象に残ったのはパリの凱旋門付近の、歴史のある街並み、流石と圧倒された。レマン湖の綺麗な白鳥も眼にのこる。英国ではケンジントンホテルといいうところに泊まったが、古めかしいホテルだったので、今あるかどうか。その後、夫とハワイ、カナダとコロンビアに行った。



私が六十六歳の時、夫がなくなってからは、友人とアメリカ、エジプトとトルコ、東南アジア、墨絵の展覧会のために行ったロマンチック街道、ウイーン。
旅行していると、私は、同年配の人達と比べて体力の無いのが判った。旅行会社が計画するコースどおりに参加すると疲れる。夜の、照明を受けたナイヤガラの滝や、夜の水中宮殿は、パスして宿にいた。一日がかりのアメリカのヨセミテ公園は自信がなく二人で留守番し、夜遅く元気に帰ってきた人達から話を羨ましく聞いた。

蚤の市へ行く途中に少し、ふらつき、添乗員に、私一人をタクシーに乗せてもらい、宿泊ホテルに戻った。鍵をかけ、べッドで休んでいると、とつぜん、大きな黒人のボーイが部屋の中を歩いているのでギヨッとした。週刊誌を取替えにきたと動作で示した。

七十歳のとき、友人とスペインとポルトガルに行くツアーに申し込んだ。海外旅行は八回目で、これで最後と決め、三歳年上の元気な友人と、今まで乗ったことのないビジネスクラスで頼んだ。かかりつけの医者の、OKも貰った。しかし、出発日の十二日前、私が心筋梗塞をおこし、急遽、近くの大学病院に入院、手術した。外国の不便な田舎道で発病したら助からなかっただろう。しばらくしてご近所の奥様が、アンコールワットから白木の箱で帰国されたので、自分は運が良かったのだと思った。

今、私たちの時代には殆ど聞くことの少なかったマチュピチとか、イエローローストーンなどの名を聞く。時代がずんずん変わってくる。




H25/07
 




 
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