生活のあし
                    
 自転車というと、情けなそうな夫の顔を思い出す。私と息子二人、家族は皆自転車にのれるのに、夫一人乗れないのだ。

 夫は高校時代、陸上競技の選手である。他の学校の陸上競技部員は何十人もいたが、夫の高校は十人しかおらず、皆でリレー、ハードル、砲丸投げなど、何役もこなして、インターハイで優勝した。優勝の瞬間の嬉しさはとても表現できないと繰り返して聞かされた。
自転車は運動に関係あるように思うが、どう努力しても乗れなかったとのことである。

 川崎に引っ越してきた四十五年前は、バスがなく不便なので自転車を買った。私も家の周りを試し乗りしたが、帰りは坂道を押して帰るようになる。その頃は私も若く、重い荷物を持って坂を上がるのも大して苦ではなかったので、私は殆ど使うことがなかった。

 孫が小中学生の頃、長男一家五人全員が自転車に乗って急に私の家に現れたのには驚いた。高津区から多摩川べりをサイクリングして多摩区の私の家にきたという。一番驚いたのは、五台もの自転車が揃っている事である。私の経済感覚では、普通の家庭では自転車の一台は、やっと買えるものだ思っていた。

 「自転車を五台も買うのは大変だったでしょう」というと「あちこちの知人から不要になったのを貰ったから買ったのは二台」と、ケロリとしている。私達の若い頃とは生活の仕方や感覚が大分変わって来ていた。

 その頃、近くの親しい四十代の主婦がバイクに乗り出した。ヘルメットをつけて派手な上着をつけ、爆音と共にあっという間に視界から消えてゆく姿は格好がいい。私は羨望の眼を持って眺める。速いし、重い荷物と一緒に坂道を上がってこられたらどんなに楽だろう、と思う。



私も若かったらと思いながら、奥さんに羨ましい、と言ったら、「私は一人っ子なので、溝口の両親が老いて病気勝ちになり、弱音ばかり吐くので毎日のように溝口の実家に行くのです」という。溝口に行くには電車の乗り換えが不便なのでバイクの方が速く行けるそうだ。

最近、そのバイクに乗っている奥さんに出会わないと思っていたら、先日道で歩いている奥さんとばったり会った。今は溝口の実家に殆ど泊まっているという。近くにある男ばかりの三人家族の家は何となく寂しそうに見える。 

 十年前から私の家に来ているヘルパーさん達は、それぞれ自転車で通って来ていたが、今私のところに出入りしているヘルパーさんの一人は二年前からピンクのバイクを新調して颯爽とやってくる。この辺りの家を一日に何軒も回るのに、これがとても助かっているという。

雨の日は防水服に身を固めてバイク、大雨の日は自家用車を運転してくる。生活費以外の、新体操、サッカー、勉強塾等、子供にかかる費用は殆ど自分の働きでまかなっているそうである。お金得るための方法が私達の「家で手内職」の時代と随分変わった。

畠が未だたくさん残る環境の中で暮らしている私は、外出にはタクシーを良く使う。しかし、タクシーを呼ぶのは贅沢という感覚からいまだぬけ出せないでいる。「こんな年になったのだからいいのよ 」と、私は自分に言い聞かせてタクシーに乗りこむ。


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