7月末、美容院 に行った。此処はが先代がやめられてから、お弟子さんご夫婦が跡を継がれたので、もう、十数年通っている。

夏休みなので、一家4人で新潟県の奥さんの実家に行かれ、昨日遅く帰って来たばかりという。昨夜8時ごろ田んぼで取った蛍が、今、この店に沢山持ってきてあるので、帰りに差し上げましょうかと言われた。


蛍と聞いて、すぐに思い出したのは、子供のころ夏休みに良く行った同じ新潟県の高田のお祖父さんの家だ。
近くの「中島タンボ」と言われたところに蛍が沢山いた。
今、この中島タンボは住宅が建ち、ここに新しく作られた道路は車の往来がはげしく、昔の面影は全く無いと聞いている。しかし、私はその変貌した場所に行ったことが無いので、私の高田の家は今も70年前の儘の姿で目に浮かんでくる。

上野から信越線に乗り、途中横川駅でアブト式電気機関車に乗り換えて碓氷峠を越え、12時間位かかって高田駅に着く。駅の改札口には、いつも父方、母方の親類が数人が、出迎えていた。
汽車の中で買って貰うサンドイッチの、ハムとサラダ菜の何ともいえぬ香りを今だに忘れられない。

お祖父さんの家は高田の外れにあった。庭は広く、蔵があった。私達が着いて暫くすると、高田の町中に住む叔母が5人の子を引き連れてやって来る。家が近くなると子供たちは走って競争するように家に駆け込んで来た。



昼間は一緒にお神明さんといわれる神社に行ったり、荒川で遊んだりするが、夜は一部屋に集まる。東京から来た私達は場馴れせず、やっと合唱位しか出来ないのだが、この高田の従兄弟達は明るく、ハーモニカを吹いたり、独唱したり、ダンスらしきものをして芸を見せてくれた。
それに飽きるとトランプをして騒ぐ。お祖父さん達は遠くから見ていた。

母の直江津の実家に行くと、母は、実家を継いでいる長姉に、他人のように畏まった態度で挨拶する。この家は、庭全体に桔梗の花がいっぱい咲いていた。崖を登ったり、海岸に出て、遠くにぼんやり見える佐渡島を探した。

また、父方や母方の従兄弟達連合で汽車に乗り海水浴へ行ったり、先祖が寄進したという閻魔様を見に五智の寺へ行った。


蛍は美容院から草と一緒にコップに入れて貰ってきた。
十数匹居たのだろうか。電気を消して眺めると、小さななクリスマスツリーがコップの中にあるように光る。点いたり消えたりして光の模様をつくる。一生懸命光を点しているのに、見とれているのが私1人なのが惜しい。

この家の中で、子供の頃を思い出しながら新潟から来た蛍を見ているなんて不思議な縁だ。


H16/08

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