ひまわりツアー

2月、3週間も前に引いた風邪が抜けず、さっぱりしないので、前日に日帰り旅行の是非を開業医に聞きにいった。「何処にでも行きなさい」と言われて勇気を得、翌朝に小さいカートを杖代わりに持って家を出た。

以前旅をしたことがある旅行会社から、年何回か旅行案内誌が送られてきていたが、若い人に混じって歩く自信がなくなってから、あっさり眼を走らせるだけになっていた。ある時紙面で「ひまわりクラブ」として身体の弱った人達のツアーが有るのを知った。早速パンフレットを取り寄せる。パンフレットにはこれからの旅行予定とともに、これまでに行なわれた三泊旅行の集合写真が載っている。車椅子の方や杖を持っている方、付き添いのサポーターなど、20人あまりが参加していた。心が動いたが、多少割高なので友人を誘うのをためらい、といって1人での参加は心細いと思っているうち1年が過ぎた。

先日、姉から(椅子付きカートを押してやっと買い物)「私は足が弱っていよいよ1人では電車に乗れなくなった、1人で出歩けられるうちに何処へでも好きな所へ行っておきなさい」と注意をうけた。「本当にそうだ。迷っている時ではない」と早速ひまわりクラブに日帰りの「江戸東京博物館とちゃんこ鍋」のツアーを申し込んだ。

往きの集合は9時、場所は町田駅から歩いて10分あまりの市民ホール裏の広場にあった。広場に観光バスが2台停まり、他のバスツアーグループの人達十数人がたむろしている。私は如何したら良いかと周りをみていると、バッジを付けた若い女性が近づいてきて「Mさんですね」と声を掛けられ、大きなバスの前の席に案内された。運転手さんの席が下方にあり、その姿が見えない。此処から乗ったのは2人。あと、江田、横浜と停まって客を乗せる。

両国についてバスを降り、バスのほうをみていると、バスの最後尾にある扉が開き、リフトに乗った車椅子の方が地上に降りてくるのが見えた。地上に着くとすぐサポーターの方が寄って車椅子を押して皆のいる集まりの中に入る。

今日のツアーの参加者は何時もより少ないそうで、参加者12人。うち、車椅子の方2名である。サポーター2人を加え旅行案内の女性、運転手さんを入れてバスの中は16人だった。

両国に着き、食事の場所まで少し歩きますといわれ、ゆっくりと周りを見ながら街を歩く。晴れ渡ってしかも暖かい日だったので気持がいい。国技館の横を通り20年まえ夫と相撲を観に来て「もう一度来たい」と話しあったことを思い出す。「輪島」と大きく書かれたビルを見てから、立浪部屋の近く、お目あてのちゃんこ鍋本店があった。

先附、お刺身、モズクの小鉢がでてから味噌味のちゃんことなった。どれも美味しい。同席の4人で食べられるかしらと思った大きな鍋のちゃんこ鍋も最後にうどんをいれて、すっかり空になった。

其処をでて江戸東京博物館にゆく。6階の入場口で自由見学となり、3時半に一階バス乗り場集合ということでばらばらとなった。1人では心細いので、お互い名を知らない傍の3人で一緒に行動することになった。夫婦連れが1組いたが、大体1人だったようだ。

昔のお姫さまのきらびやかな輿、道具や掛け軸、江戸時代の町や其処に住む人達のいきいきとした生活風景を表した木造りの模型等、興味のあるものだけを幾つか見て出口まで来たが、未だ2時過ぎである。

一階に降りておみやげ物売り場でゆっくり時間をかけても未だ時間がたっぷりあり、3人でそこにある喫茶店に入る。コーヒーを飲んでいると又ツアー仲間が1人加わり、4人でお喋りする。一番活発で明るい方が、終戦時子供が2人いたという話から私より3歳上なのを知った。とても其の年に見えない元気さである。知っている人との旅行は楽しいが、ツアーが一緒というだけの名前も環境も知らない人達と気をあわせて話をするのもいい。

時間になってバスは帰途につく。レインボーブリッジを通り、お台場の海、浜離宮を車からながめ、先ず横浜へと向かう。横浜に着くと、全く会話をしなかった人まで、降り際に「お世話なりました」と残った人に声をかけて降りてゆくが、これがとても奥ゆかしいように思えた。孫達が中年になる頃、こんな別れ方をする習慣が残っているかどうか。

運転手さんが予想されたように渋滞に掛かったが、6時半に小田急町田駅に近い東急デパート横に着く。風邪を引いていたのをすっかり忘れ、お土産の入った大きな紙袋を提げて町田駅の改札口を通り抜けた。

H18/03

 

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