華やかな法事


平成二年の二月に夫が亡くなったが、家が神道なので、五年毎に法事をしている。いつも神主さんにお祭りをして頂いてから、近くのレストランで簡単に食事をしていた。平成二十二年二月は、二十年目に当たるので、極寒を避け、同じような法事を十二月にするつもりでいた。
 しかし、長男はこの五年の間に癌などの大病を二回もしているし、丈夫だった次男までがこの十月、心筋梗塞で入院。私を含め、病気がらみの者が三人もいて、みんなが元気な顔で揃っている今、この二十年祭は何時もより盛大にしようと考えた。

 新宿のあるホテルを候補として、次男とその娘の三人で試食にゆく。コース料理を注文したが、食事のあと、料理も場所も何にも印象に残るものが無い。これではつまらないと、今はやりの外資系ホテルも覗いたが、作りは豪華だが、なんとなく気分にそぐわない。孫娘からどうせ派手にやるなら、東京の中心の方にあるホテルにしたらと意見が出て、私たちの車は、東京の中心へと向かって走った。車中、私はいろいろと思いを巡らす。



 夫は相当裕福な暮らしの中に育った。昭和初期、撮った写真をみると、上野にある岩崎邸に似た大きな洋館の建物の前に、着物姿の姉二人を交え、父母の周りに兄弟十人が並んでいる。直ぐ上の兄と六歳離れている末っ子の夫は小学校の制服を着ていて特別に小さい。
 子どものころ、夫は兄達から「先祖は泥棒で牢屋にも入ったんだぞ」と、そんな話ばかり聞かされていたそうだ。先祖は坂本竜馬のころ、土佐から出てきて成功し、大きく財をなした。しかし一人いた息子が早くなくなり、政治家の甥を養子に迎えた。夫の父親にあたる。当時、家の前には専属の交番があり、執事の家があったそうだ。
 連れ添った義母から聞いた話では、父親は商売が下手でだんだん家が衰退していった。何千坪もあった土地や貸家はだんだん減って行く。戦争の末期には空襲で家が焼けた。それに加えて、頼りにしていた長男が、終戦直後病気でなくなったので、夫はゼロからの出発となった。

夫は私と一緒になって、中流サラリーマンとして暮らしをするより、もっと違う選択もあったと思うが、三人の兄が結核で亡くなり子の無い兄が二人いるので、伴侶は健康を第一の条件としていたそうだ。
品性の無い人に頭をさげるのを嫌がり、世間離れをした性格だったので、社会に出て苦労も多かったのではないかと思う。考えているうちに、新しいホテルより、戦前からあって夫もよく知っている、宮城近くの帝國ホテルがふさわしい気がしてきた。この日、このホテルの下見をしてから、法事部に申し込んだ。

法事の当日は午前十時、家の近くの春秋苑にある墓の前に、地味な服装で集まる。孫娘の夫が増えたが、次男の嫁は都合がつかず、総勢十人になった。白い衣装の神主さんが三段になった台に、五つの三宝を載せ、お榊をはじめ、お酒に果物、干し魚などの、海の物、山の物をこぼれそうに盛り上げた。
神主さんに導かれるままに法事が進められ、最後に神道に連なるお話を聞いたあと、墓地で一応解散をする。それからはそれぞれの都合のままに、帝國ホテルに向かった。

私は次男の車に乗り、途中で昼食を済ませホテルに着いた。孫娘二人はすぐ美容室へと向かう。遠藤はつこ美容室。昔から良く名を聞いていた有名美容室だ。孫も一生に一度はこんな経験もいいかもしれない。私は美容室の待合室で出来上がるのを待った。
やがて長い髪を高く上げて結い、綺麗に化粧された、グリーン地と、ピンク地の着物を着た孫がでてくる。其処に長男の嫁が孫娘三人を連れて現れる。うち、孫二人も紫の絞りや鮮やか色の着物姿である。長男の嫁は、かつて、私が着ていた藤色の濃淡になったろうけつ染めの着物に、銀色地の帯を締めていて、私が其処にいるような錯覚をおこす。私は孫の結婚式の時着た紺地にラメ入りの服を着た。
ホテル内にある写真屋で娘達の着物姿を撮ったあと、家族十人が並び記念写真を撮る。これは後々まで残るものになるはずだ。

定刻が来て食事の部屋へと向かう。向かいあわせに準備されたテーブルには、ピンクと白の薔薇の花が、船のような形の器に盛られ、想像していたよりずっと豪華な雰囲気になっていた。
夫の写真をテーブルの一端に置き、私が中心に座り、長男の司会で洋食の食事会が始まる。おしゃれをして弾んだ気持ちそのままに、皆の話は楽しい。最近の海外旅行の写真を持ってきた者もいる。高価そうな食器で運ばれてくる魚や肉のお料理、デザートなどを味わいながらいただく。ウエイターをはじめ見守る責任者の方々の動きはさすがに行き届いていた。食事を終わり、三つ繋がれた船型の花は三つに分けられ、姿のままに包まれて車寄せに運ばれた。

 のれん街で、孫が今流行だと言う店で、ポンドケーキ風のお菓子買って皆に渡す。このまま帰るのは惜しいので、人の大勢行き来している一階のロビーにゆくと、中央に大きなクリスマスツリーがどんと置かれ、色彩豊かに点灯していた。ツリーをバックに、振袖の孫たちと一緒に撮りたいと外人からの要望があり、息子がカメラを預かり、シャッターを切った。
 暫く雰囲気を楽しんだあと、出口に向かうと、何処からか食事の時の責任者が車の見送りに現れた。思っていたような法事が出来ましたと私は礼を言った。

 私の家には、初めての身分不相応な法事をしたと思うけれど、それだけ、悔いのない良いことをしたような気がした。 

「課題 初」

 H22/01

 

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