ある年の新年会


 昭和十六年の正月、十七歳の少女五人が着物を着て、少し斜に構えて写真を撮った日のことは、六十九年経った今でも鮮明に覚えている。

 私が昔、通っていた女子大の傍に、Tという文房具店があった。あたりに競争する店も無く、小学校時代からいつもそこで買い物をしていた。この家の末娘は私と附属小学校から女学校まで組が一緒だった。そしてここには、既に嫁している二人のお姉さんと、そのころ早稲田大学に通っている双子のお兄さんがいた。

 おじさんは真面目で地味な人だが、そこのおばさんは恰幅が良く、明るく世話好きだった。女子大の寮に入って学んでいる学生たちは、困りごとがあると母親代わりになんでもこのおばさんに相談に行ったそうだ。

 女学校の卒業も近い、昭和十五年の暮れ、Tさんからお正月に家に遊びに来るよう誘いがかかった。今までお正月に友人の家に呼ばれたことは無い。そしていつもはセーラー服か私服で遊びに行くのに、その日は珍しく、銘仙程度でいいので必ず着物を着て来るように、と注文がついていた。



 昭和十六年のお正月、着物姿でTさんの家にゆく。私は両親が前年の京都旅行で買ってきてくれた新調の銘仙の着物を着て行った。張り切って縮緬の羽織を着てきた人もいる。今までこんな機会はなかったので、お互い初めて見せあうセーラー服を脱いだ着物姿。嬉しくて皆ではしゃいでいると、おばさんにすぐ近くにある写真館に行くように言われ、五人一緒に写真を撮った。

 五人で写真館から戻ると二階に案内された。部屋にはいると、八畳ほどの部屋の中にすでに若い男性五人が座っているのに驚いた。おばさんはこともなげに、皆を紹介する。

「この二人は家の息子、後三人は早稲田の友達だけれど、この二人は朝鮮からの留学生。お正月だから皆楽しく遊んで」と言う。初めての知らない男性五人の前で私は慌てた。しかし、他の友人達はちっとも慌てた風を見せず、すぐその場の雰囲気になじんで調子を合わせている。

友人達は何故平気なのだろう。このころは兄弟の、六、七人は普通で、友人達は皆男の兄弟を持ち、若い男との付き合いに馴れているらしい。 私の家は三人姉妹なので男性は父だけである。といっても、そのころ従兄弟達が中学を出て田舎から上京して、私の家のそばで何人か下宿しており、毎晩のように大学生やその友達が出入りしていた。しかし父母を相手に喋って食事をしてゆくが、私達姉妹とは簡単な会話を交わすだけで遊んだりはしない。

 階段を上って、おばさんが次々と料理を運んできては、中の様子をみて、ひと声かけてゆく。この場になっても私一人が仲間からはずれ、緊張していた。他の人のように楽しい気分の中に入りたいと思うが、なんだかとんでもない所に放り込まれたようで皆の輪の中入れない。

食事が終わって、ゲームが始まる。トランプやかるた、ペアーになっての遊びなどあれこれと、男女混じっての勝負となった。他の友人には当たり前のなりゆきらしい。絶え間ない笑いと、冗談の応酬を聞いているうちにだんだんと私も場の雰囲気に馴れて調子が出て来た。女だけの学校や家庭にいて今まで知らなかった世界。若い男性の入った遊びは勢いがあってこんなに楽しいのだ。

思いがけなく今まで経験したことのない時間を過ごして家に帰る。「Tさんの家ではどんなだったの?」と母に聞かれた。こんなご馳走がでて、と言ったが「早稲田の大学生が五人一緒だった」とはどうしても言えなかった。

後になって考えると、さばけたおばさんの計らいだったのだろう。息子の友人である朝鮮の留学生たちが冬休みに親元に帰れず、日本にいるので、家に招いて慰労したかったのだろう。船しか無い外地と往復は、簡単にできる時代ではなかった。それに男性たちは大学を卒業したら、皆すぐに兵役が待っていた。今のように気楽な男女交際の場はなかったので、出来るだけ楽しい思い出を作ってやりたかったのかもしれない。開戦前の不安な時代だった。あの時の若い男女十人の新年会には、少し嵌めを外したういういしい私達の着物姿が似合っていた。この写真を見るたびに私は十七歳のころに戻ってゆく。

課題  一枚の写真が自分を過去に誘ってくれることがある。

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