母の実家

父の実家、新潟県高田にゆくときは、必ず直江津「現在上越市」の母の実家にも行った。壇ノ浦の戦いに敗れた平氏の武士がこの辺りに住みついたと言われ、私の子供のころは十五代目だった。廻船問屋をしており、本家、分家の男の中で本家を継ぐにふさわしい者が選ばれて、代々伝えられてきたという。
 
毎朝、郎党が集って、シャンシャン、シャンと拍手を打ってから、仕事に出かけ、なかなか威勢のいいものだったそうだ。

中央通りに店を構えているこの家の外には、東京からの里帰りをみようと見物の子どもたちが待っていて、母がミシンで作った姉妹三人お揃いの、ひらひらとフリルのついた服に触ったりする。其の頃、バナナは普段は口には入らない物なのでお土産として持参している。



家を継いでいる母の長姉夫婦が大きな声をあげて歓待してくれた。親の代に女子ばかり生まれたので、長女が分家の男と婚約したが、その後男が生まれた。その子は分家し、のち町長をしている。

長姉夫婦と、普段の母では見た事の無い他人行儀のかしこまった挨拶を交わしたあと、まず、皆で大きな仏壇のある部屋に行き、ご先祖さまにお線香をあげ、そこでひとときの時間を過ごす。

店の間口に比して敷地は奥行きが長く、米をいれる建物が奥まで続く。広い庭のあちらこちらに、桔梗の花が群れてさいていたのが印象深い。海岸に近い家だが、直江津の海は急深かで泳げない。そのころ、母は自分の子どもの頃より砂浜の幅がだんだん狭くなってゆくと話していた。

私達が帰郷すると、父方母方の縁続きの子供たちは、一緒になって汽車で海水浴に行った。鯨波といっていた気がする。親戚上京の折には継続だんごや笹団子をお土産に貰った。

今、直江津の家は十七代目。十六代目は、私の子供のころ、東京の実家に下宿して大学に行っていたのでよく知っている。十七代目は顔を知らないが、新年には年賀状が来る。
 
H20/03

 

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