銀座から新橋へ

            
先月、画展をみるため、久しぶり銀座を歩いたが、今のうち、銀座通りをもう一度ゆっくり歩いて見たいと思った。もう外出を誘える友人は少数になった。今、一週間に一度は電話をかけあっているAさんを誘う。 東京の白金台で育ったAさんは、去年原因不明の病気で半年体調をくずしていたが、やっと元気を回復した。

銀座四丁目の和光の前に、十一時に待ち合わせる。買うものはないが、久々に目の保養にと、目の前の「和光」ビルに入った。がらんとしている。高級品の服やバッグが幾つか並べられ、幾人か店員もいる。しかし、午前中とはいえ、三階まで昇ったが、各階とも、私達二人だけか、あと一人しか客に会わないのに驚いた。

何だか分らないが場違いのところに来てしまったと感じて、うろうろしている私達に、垢抜けた風情の女店員は人形の着ている若者の服のことなどで話しかけてくる。何年か前、銀座にきていた頃は、当たりまえのようにここの和光を覗いたが、各階とも混雑していた。そして私達の手の届く値のカバンやブラウスもあって、時には、選んで買っていたのに、全く縁のないところになっていた。まるで浦島太郎になった気分だった。



以前来たのは何年前だったかしらと考えながらも、こんな様変わりしたわけを、店員に確かめる元気も無く、外へ出た。昼時なので、何処で食事しょうかと迷うと、Aさんは戦前、父親によく連れていってもらったてんぷらやへ行きたいという。確か新橋寄りの店だったと言うのを頼りに松坂屋を過ぎて新橋方面に歩くと、彼女の言葉どおり、左側にてんぷら屋「天国」があった。地下のカウンターで揚げたてをいただいた。久しぶりに贅沢をした気分になった。

 店を出てすぐ傍の道角にある新橋の玉木屋佃煮店に入る。昔の店とは建物が違うが、同じ場所にある。 Aさんのこの店での思い出は、女学生のころ、実家に泊り客があると、いつもここのお多福豆や鉄火味噌を買いに行かせられたそうだ。今時は、知り合いに泊まるより、気を使わないホテルの方が好まれるが、私達の子供のころは、田舎の親類や知人、今まで聞いた事の無いような遠い縁の人まで、東京にくれば当然のように実家に泊まっていたものである。

 私も昔、この新橋玉木屋では、何回も買い物をしている。私が十六,七歳の、日本が戦争へと向かう雰囲気が強くなってきた頃、友人と一緒に新橋駅前の蔵前ビルにある高塚竹堂先生の習字教室に通っていた。友人のお姉さんが教室の受付係をしていた。生徒は五、六十人いたが、奥の方は年寄りの一団がいて笑いが絶えない。先生は中年の穏やかな方で、その年寄り組の習字を先にみてから私達、若者組の方に回って来られるのでいつも最後になった。先生に褒められて、やる気になっていたのに、一年通ったところで、道路の拡張でこの蔵前ビルが取り壊しになり、そこで習字は終わりとなった。戦後、何十年も経ってから本屋の棚で高塚竹堂先生の名を見つけ、高名な先生だったのを知った。

久しぶりに玉木屋で幾つか買い物をして会計を済ませると、此処からは浜離宮が近いので行かれたらどうですかと薦められる。二人とも今まで行った事が無い。タクシーに乗るとあっという間に着いた。

浜離宮恩賜庭園と言われ、徳川将軍家の別邸で明治維新以後は皇室の離宮だった。昔は鷹狩りに使われた場所でもある。浜離宮大手門入り口から入る。ビル街の景色とはぐっと違って閑静なひろびろとした風景が広がる。眼の前の一画は菜の花畑で黄色に染まり、紅白の梅林は丁度見ごろに咲いている。外人の観光客が多い。

入り口で貰った庭園地図にある池を目指して歩くが、なかなか池が見えてこない。工事の作業服をきた中年のおじさんに出会ったので道を聞くと、先に立って、池の見えるところまで案内してくれた。別れたあとすぐAさんが「今の人、お母さん、お母さんと二回も言ってくれたわね」という。何の事かときくと最近、隣家に来た工事の人に「おばあさん」と呼びかけられて嫌な思いをしたそうだ。八十六歳と八十五歳の私達は誰が見ても外見、お母さんでなくおばあさん達、が正解なのだろうが、本当は孫以外に言われたくない言葉なのだ。

ここが都心かと思うような大きな池が広がっていた。東京湾の海水が引かれている。回りのビルの姿がいくつも池の面に写っていて、鳥が羽を休めていた。池に架かかっている橋をのろのろと渡り、池に張り出している休憩所の建物までやっとたどり歩き、戸外の陽のあたるベンチに腰掛け、ほっとした。池の景色を眺めながら和菓子と抹茶のセットを注文した。 勤め帰りの人たちと一緒にならないよう早めに庭園を引き上げた。

 家に帰ってパソコンで銀座和光を調べると、「平成二十年、銀座を象徴するこの時計のある建物は、次ぎの世代に継承するために三百日間、閉館し、改装、整備され、平成二十一年、近代化産業遺産に認定された。」とある。そして和光の隣と、並木通りに二つの別館があり、雑貨売り場やレストランがあるのを知った。おしゃれに敏感な東京の若者たちは、当然に、知っていて当たり前のことだったのだろう。

課題    かわる。
 
H22/04

 

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