芙蓉


 なんという名の芙蓉かしらないが、駅までの近道となっている細い道の家の前に、今年も大きな芙蓉の花が咲いた。この芙蓉の花はピンク色だが、私が昔から知っている芙蓉と違って、花びらがしっかりと重なっているので、まん丸の花のようにみえる。しかも花はとても大きく三つ四つと揃うと目立って見事だ。その家の東側は広い畠になっていて、花は道と門との間の狭い所だが、朝日の当たるいい場所に植えられている。

其処の御主人はいつもその辺りをまめに手入れされていた。歩きながらその花をみつけると、又、一年経ったのかなあ、と思い、改めて堂々とした立派な大輪の花にみとれ、足を止める。

ずっと前、病気がちで家にいるようになった夫が、近所の人に誘われて行った老人会で、ここのご主人と知り合いになってきた。戦争に参加した経験のある者同士で話がはずんだらしい。五歳くらい夫の方が歳下だった。

ご主人は東京の下町の郵便局長をしていたが、息子さんに代を譲り、夫婦でこちらに越して来られたという。時々、ぶらりと私の家の植木や花を見に寄られた。

夫がなくなってから、「話し相手がいなくなって淋しくなりました」と、道でご主人に会うと、私に話しかけられるようになった。その奥さんはお稽古などで日中留守の時が多い。一人で家の中に取り残されてじっとしていられないのか、昼間、お風呂やの帰りらしい姿で歩いていたり、道角に立って用事もないのに行き交う人々の様子を眺めていたりするご主人は、人通りの少ないこの辺りでは目立つ存在だった。

道で出会ってご挨拶したあと、暫く立ち話をするが、私相手の話はすぐ尽きる。しかし同じ時代を過ごした私ならわかると思われるのか、そのうち、自分の血気盛んな頃の戦争の話となる。支那事変から大東亜戦争まで度々応召を受けてあちらこちらと転戦されている。親しかった戦友の場合や、自分が今、生きて、こうして此処にいるのは如何に運が良かったかを、しみじみと話される。

ひとしきり戦争の話をすると「又、同じような話しを聞かせてしまいました」と、恐縮した様子で話を終える。



私はあの時代、兵隊として強烈な経験をした人の話は、同じような情景の繰り返しでも、共感をもって昔を振り返る。その度に男の方々はご苦労様だったなあ、と思って聞く。 
     
四年ほど前、この頃道でこの方を見かけないと思い、近所の人に聞くと三ヵ月前になくなられていた。

 奥さんに引き継がれているこの芙蓉は、冬はすっかり土に埋もれて姿が無いので、又花が見られるかしらと心配する。だが春には芽が出て、心待ちにしていた蕾は当然のように姿をあらわし、やがて夏には大輪の花を咲かせている。
眺めていると、ピンクの花だけれど、機関銃の音も遠くに聞える気がする。

名前が知りたくて、奥様に電話して聞いてみると、友人から分けて頂いたアメリカ芙蓉と言われた。
 
H19/09

 

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