細い道

 翌日外出するので、何時もの美容院にいった。 二年前、三十代の美容師のご主人から売り出したばかりの任天堂のDSが面白いと教えられて、早速買い、「頭のよくなるゲーム」を大分長い間楽しんだ。

この日、鏡の前に座るとすぐ、ご主人が、近ごろ発売された任天堂の「Wii」のスポーツソフトの話をされる。何となく眺めているテレビのコマーシャルで新製品が出たのは知っていたが、ご主人の大きい動作つきの説明で相当進化したすばらしいものらしいと分かった。
 
 先ずテニス。自分の方がレベルが上なのに、小学生の娘さんと対戦し、何回も負けて、罰金をとられたこと。拳闘では、夢中になって前に前にと進んで、テレビにぶつかりそうな小さい娘さん、それに野球の球の投げ加減の難しさ、こんなスポーツを家の中で三十分もしていると、汗びっしょりとなる話、など。

私は新しいゲームの中に引き込まれて面白く興味深く聞いていた。でもどれも縁遠いスポーツばかりだな、と考えていると、このソフトの中にはボーリングも入っていますよ、と名前が出た。とたんに、私は遠い昔、友人三人とボーリング場に行った日を思い出した。
     


三十数年前、そのころテレビに出ていた刺繍の先生の図柄、色彩が気に入り、はるばると吉祥寺の刺繍教室に通っていた。教室の同じテーブルの仲間、三人とは気が合った。
 Aさん・五十代後半、上品な奥様。もう直ぐ六十歳のお婆さんなのよ、が口癖。
Bさん・五十代前半、ご主人は開業医。同郷の中村汀女さんの俳句教室に長年通っている。私より一歳年上。
Cさん・四十代後半。ご主人は漁業会社にお勤め。暮れには、塩鮭がたくさん来て困るという。

二年ほど通ったが、ビルの建て直しで教室が解散することになった。それでも仲良くなったのだからこれから毎年一回は会いましょうと約束して分かれた。
翌年はまず年上のAさんの家に集る。その少し前に開発された聖跡桜ヶ丘駅近くのモダンな家でもてなしを受けた。

二年目は川崎の私の家に集る。家々に囲まれた街並みに住む友人たちは、私の家の周りにある田園風景を見て、心が休まると、喜んでくれた。そのころは夫もいて、小さい花壇が良く手入れされていたので、皆で庭に出て花と一緒に写真を撮る。

あれこれお喋りしているうち、今、流行のボーリングがしてみたい、との話になった。「律子さん、律子さん」のコマーシャルが流れていた頃である。

当時の中年の主婦感覚では、自分たちがボーリングをして遊ぶのは縁遠いもののように思っていたが、四人揃っての勢いで、思い切ってボーリング場にいってみましょうか、と誰かが言うと、すぐ話がまとまった。家を早めに切りあげ、向丘遊園駅のビルの最上階に書かれているボーリングの字を頼りにそこに向かった。

エレベーターで昇り、おずおずとボーリング場の扉の中に入ると、そこでは若い指導員が、自信の無いようすの四人組みをてきぱきと指導してくれた。靴やボウルを借りた。

初めは失敗ばかりしているが、馴れてくるとたまにはストライクも出るので、歓声を挙げた。今の私ならとても覚えられないと思う計算法も、直ぐ頭に入って、ボウルを投げる毎に一喜一憂する。淑やかなAさんまでも、はしゃいだ。皆で気に入ったので、来年もまたここに来ましょうと、話し合って別れた。

翌年、その時期になったので、私は最初にCさんに電話をした。娘さんが出られて、先ず「母とどんなご関係ですか」と聞かれる。そして半年前、急に亡くなられたことを知る。去年、他の二人は普段着で私の家に来たのに、この人は紺のパーティ服のような華やかな服装で現れたのを思い出した。

次にAさんに電話をすると、息子さんが出られ、Aさんは体調がわるく、入院中という。それから残った二人、Bさんと私二人は毎年、新宿で待ち合わせ、食事をして旧交を温めあった。そのうち、十年余りを老人病院で過ごしていたAさんの訃報が届いた。Bさんとお悔やみに行く。

又、十年してBさんのご主人から喪中の葉書が届いた。続いてBさんの記念にと、装丁された俳句集が送られてきた。四人組みだったのに、とうとう一人になった。それから又、もう十年の歳月が流れた。

私は今日も生きて美容院で話をしている。しかも、あの人たちの全く知らない世界、DSやWiiの話を聞いている。やっと歩いていても、未だ外出して、好みの人生を過ごしている私は、まれにしかない、幸運に恵まれたすごく細い道を歩いているのではないかしら。

翌日、用事の為、小田急線に乗った。生田駅から一つ目の向丘遊園駅に着くと、私達の行ったボーリング場のビルがホームから見える。
相変わらず、ビルの最上階に書かれたボーリングの文字が人々を誘っている。
H19/03

 

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