四つの机
           
私の家は、かつて四人家族だったので、四つの机が活躍していた。長男が座り机で勉強している小学一年生の頃の写真があるが、終戦直後の生活ではこれがやっとだったのだろう。高学年になって、大人になっても使えるような片袖に引き出しの付いた机を買った。その頃横浜に住んでいたので桜木町の大きな家具やまで買いに行った時の事は今でもはっきり覚えている。

次男の机は私の妹が役所でぱりぱりと働いていたころだ。親しくなった家具やさんで良いのがあるからというのでお任せで買ってもらった。ただの四角でなく少し変形している。

私自身の机との出会いは、息子たちが中学生の頃、両親と、私達三人姉妹、孫たちが揃って新潟県高田に在る父の実家に遊びに行った時があった。家の後ろにある白い蔵には、興味がなく、これまで入った事がなかったが、初めて、危なげな階段をのぼって蔵の中にはいると、布団や、お祝い用に使う什器などの箱があり、その中に華奢な造りの、桐製の文机があった。全体が真っ黒で、両脇の板は、橘の形にくりぬいてあり、一見して気に入った。引き出しを開けると、裏側に「大正七年戌午春四月、越後国直江津、青山○○と母の旧姓が大きく書かれている。嫁入り支度の一つだったのだろう。母に言うと、あっさりと私にくれた。



その時代は、突然の来客が多かったので、増築したばかりの玄関横の客間六畳にこの机を置き、来客用のサイドテーブルとして使った。引き出しには其の頃私が習っていた書道の硯や墨をいれ、何年かの間、この部屋一杯に黒い布を広げて書道をしていた。

二十年経って、家をそろそろ立て替えようとしたが、道路にトラブルがおきて新築を見送り、今までの平屋に二階を上げた。二階は納戸と、夫だけが使う八畳の専用部屋となる。夫は組み立て家具で居場所をつくった。小学生の初めに長男が使っていた座り机の表面にベークライトを貼り、夫が趣味として習っていた木彫の作業台として使われていた。

こんな暮らしをしているうち、何年か経って、私以外の家族三人は次々と家からいなくなった。四つの机はそのまま残され、私がそれらを自分のものとしてから、もう二十年あまりが経つ。

現在、これらの机がどうなっているかと、その様子を見ると、先ず長男の机は家の中央にある八畳の座敷に置かれ、机上にパソコンを載せて、私の仕事台となっている。エッセイ教室に出す作文を、書いたり消したりしながら文を整える。画を描く時もあり、パソコンを開かない日はない。たまには友人や、パソコンで知り合った人とのメール交換もあり、日常生活に少し彩りを添えてくれる。

次男の机は現在、私が衣装部屋と称している板の間四畳半に置かれている。この机には、かつて私が習っていた、小さな織物や、近くの「憩いの家」で俳句をしていた頃に作った句集、習字などがたくさん残されてされていたが、先日、身辺整理をして、その殆んどを処分した。
 
唯一つ、残して、この机の引き出しに大事にしまわれているのは、横浜のカルチャー教室の図案教室に通ったときの大きな画帳である。
図案は、先生の言われる条件に合わせて四角や丸を分割して配置したり、台にある人形や大工道具などの中から、自分が選らんだものを摸してして図案を作ったりしてゆく。五十代半ばの頃のものだが、私の性格に合ったのか一回一回がとても楽しい授業だった。時々画帳を出してその絵を眺めるが、どれも色が明るくで、昔の若々しい自分に出会ったような気がして、心が温まる。

母から貰った黒い机の置いてある玄関脇六畳の客間は、夫がいなくなったあとは客もなく、ほとんど空き部屋となった。この黒い机はいつの間にか引き出しの内側にクレオンで落書されている。以前のように、たまに六畳の間に上がって下さる近所の方をもてなすサイドテーブルとなっている。

夫が二階で、木彫に使っていた長男の最初の座り机は、傷だらけになり、いかにも古く、本来はとうの昔にお払い箱になっているものだが、家が広いので置き場所に困るわけでなく、見栄も、捨てる理由もなく、今は私の使っているパソコン机の横に並べて置かれ、物置台となっている。引き出しには新しい筆記具をいれ、結構役に立っている。

いつのまにか此処にすんで五十年経つ。ほころびの目立つ古い家の中で、昔からの机と一緒に、時間を持て余すこともなく無事日々を過ごしている。

 課題 机



 H23/09

 


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