里帰り



学校が一緒で、卒業後も親しくしていた友人、Sさんは二年前に亡くなった。去年の暮れにその娘、A子さんから、私のH・Pを見ると、老人ホームに入られているが、其処に伺っていいか、と電話があった。勿論、大歓迎。小学校低学年のA子さんに会った以来だ。六十七歳になっているはずのA子さんは、どんな風になっているのか。楽しみにその日を待った。A子さんは、音大を出て、家でバイオリンを教えている。

Sさんの男女二人の子達は、私の息子達と歳が殆ど同じなので、時々、子連れでお互いの家に遊びに行っていた。四,五歳のころ、Sさんの家に行ったとき、子ども達だけ四人で近くのお菓子やへお菓子を買いに行かせたら、皆の意見が一致したと言って、桃、白、薄緑などの砂糖で表面に色をつけた小さい動物の形をしたビスケットを買ってきたのを覚えている。葉山の海の見える家にいた頃、友人達四人が子連れで集まった日があった。子は六人、Sさんの子ども達は嬉しそうに浅瀬で万歳をしていた。

高学年になると子どもは関係なく母親だけの交流となり、私はSさんの入っている茶道のグループのお茶会、白金八芳園や新宿御苑などでの茶会にはつも招待され、普段は全く着る機会の無い手持ちの着物を着て、しとやかな気分で楽しい一日を過させてもらっていた。



Sさんと一緒にお茶をしていた年齢の近いグループの人達が、年と共に、次々と病気や他の事情でお稽古が出来なくなり、グループが解散。Sさんの息子さんが、ご主人と同じ、医者となり喜んでいたのに、地方都市に大きな病院を建てられたので、あまり会えなくなった。毎回出ていたクラス会にも欠席。新宿に近いマンションの一人住まいが寂しかったのか。結局、娘A子さんの家に近い京王線沿線の老人ホームに入られた。「案外、楽しいのよ」と元気そうな声で電話を貰っていたが、二年前、ホームで食事中、食べ物をのどに詰まらせて急に亡くなってしまった。

A子さんは約束どおり、一月の半ば、私のいる老人ホームに来られた。会った瞬間、眼の中に在ったA子さんの子どもの顔はたちまち、67歳の落着いた大人の顔に‥。昨日も会っていた様な気楽さで会話が始まる。

暫く四方山話をしたあと、「お里帰りをするものがあるんですよ、とかばんの中から小さい包みを取り出した。何かと思っていると、お手製のフエルトのケースから、昔、私が作っていた小人形が一つ出てきた。この人形は五十数年前、私が内職で作っていたもの、このホームページで平成十八年一月に「横浜の家」として写真で六十個くらい並べて出している。HPに出した時点では、これら昔の小人形が私の家ににあったのだが、事故で箱ごと無くなり今は手元に一つも無い。

人形を作っていた頃、クラス会に幾つか持って行くと、すぐ売り切れ、Sさんに、娘の家に音楽を習いに来ている子ども達にもやりたいから、といわれ、別に何個か送った記憶がある。その中の一つなのだろう。それにしても、よその家で、よく捨てられずに五十年間も、きれいに保存されていたものだ。早速ハート型のケースのまま、部屋の壁に下げて、里帰りした人形を眺めている。



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