老人ホーム慰問

大正琴のお稽古を始めてから11年となる。最初の頃の教室は生徒が5,6人と少なかったが、今では人数が増え、しかも50代60代の方々が殆どになった。私はもう大きな舞台に出ないが、小田急沿線にある有料老人ホームでの慰問演奏会には出して頂くことになった。総勢21人である。

 当日は大正琴や着替えの入った重い荷物は、いつもどなたかが持ってくださり、駅からは自家用車で来た方の車に乗せていただく。

 ベージュ色の老人ホームの建物は、駅からは近いが、周りがまだ殆ど畠という環境のなかに建っていた。ホームは出来てからまだ日が浅いので、外観も屋内もきれいで明るい。職員の方々がにこやかに私達を迎えて下さった。



 早速控え室に入り、いつもの様に皆でごちゃごちゃとなって服を着替える。皆がお揃いの、袖の大きくふくらんだサーモンピンクのブラウス姿になり、大正琴を持って大広間に行くと、既に片側にテーブルを長くつないで2列になった席が用意されていた。ソプラノ、メゾ、アルトと分担しているが、私はソプラノ組なので決められた席、後列右側の端に座る。

 私達と対面するような形でホームにいる方々の席が設けられていた。開始の定刻までまだ20分ほど時間があったが、既に3分の1位の席は人が座り、始まるのを待っている。集合呼びかけのアナウンスの中を、職員の方に付き添われて車椅子に乗ってくる方、手をひかれてくる方が、次々と来てホーム側の席が埋められてゆく。

中には大正琴の席に来て、何か解らないことを言っている人もいるが、前列にはとても元気そうにみえる数人も並んでいる。

大正琴を前に置いて、後ろの席から広間にいる人達の動く様子を眺めていたら、何だか判らないけれど、急に涙が出てきて止まらなくなった。こんな大正琴を弾く方の席で涙をぬぐっている人なんておかしいと、焦ってもどうしても止まらない。

先生の挨拶から始まり、用意してきた曲を弾きはじめた。「富士山」「荒城の月」「黒田節「花かげ」をひきながら皆さんと一緒に歌う。始めのうちは後列の席で助かったと、涙を隠すのに気をとられていたが、ホームの皆さんとの合唱は、思っていたよりずっと大きな声が部屋の中を流れ、やがてそちらの声に気が移ってゆく。

 先生の「川の流れのように」のピアノ演奏では、小さく歌を口ずさんでいる人達の声が聞える。現代の歌もあったほうが、と選ばれた「ビリーブ」は指導を受けながら案外しっかりした合唱となる。大正琴の曲「ラブミーテンダー」「お江戸日本橋」「ゆりかごの歌」「おおシャンゼリゼ」「コンドルは飛んでゆく」を弾き、最後は「ふるさと」の合唱で会は終わった。

数年前も養護老人ホームに慰問に行ったことがあるが、その時は特別に感じることはなかったのに、今回の涙はなんだったのだろう。普段はテレビで悲しいお話を見たとき位しか涙が出ないのに。

この年になってもいまだ若い皆と一緒にこちら側にいて大正琴を弾いている自分が嬉しかったのかもしれない。まだ自分の意思のままに、誰にも気を遣うこと無く暮らせる今の生活の有り難さを確認していたのかもしれない。

しかし、現在、ここでの生活を選択している方は、自分におかれた条件を考えて、ここでの生活が一番快適と感じている人が殆どのはずだ。私も自立出来なくなって同じような状況になったら、そんな風に考えるのだろう。

帰りがけ、お願いして、個室の部屋をみせていただく。こじんまりした、何も置いてない部屋の窓からは緑の風景が広がっていた。

慰問と言う名目だけれど、普段の練習を生かせる場を持てたのは有り難かった。後で聞くと、この日、新宿まで足を伸ばしていた人達もいたそうで何となく気が楽になった。

次の日、かかりつけの病院にいった。ここの8階レストランの窓から、道を隔てて遠くの丘にネットを張られた運動場やテニスコートがある。中学生達が 小さく蟻が動いているように運動しているのが見える。

少女のころ、テニス部に憧れ、ラケットを持って、それらしい格好をしたものの、あまりに才能の無さに、自分であきれてすぐ辞めた。そんなことを思い出しながらぼんやりみているのは、心が和むひとときである。


H18/09

 


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