林檎


11月末、従妹から電話があった。私より、15歳年下である。

「この頃体調はいかがですか。」と始めに丁寧に挨拶をした後、「何時も暮れに林檎をお贈りしていますが、ご迷惑なら他の物に代えますがどうでしょう」と聞く。横浜に住んでいるが、ご主人の実家のある山形からこのところ毎年林檎が送られてくる。蜜が入っていて、とても美味しい。

今まで、お礼をされる様な事は何一つしていない。私が年老いたので親切に送ってくれるのだろうと思っていた。去年、同じ従妹から毎年林檎を貰う姉が、「林檎は食べきれないから、もう送らないで」と言ったら、蜜柑が送られてきたという話を聞いている。

「お宅から頂く林檎は美味しいから、今までどおり林檎がいいわ」と答えると「受け取って下さって嬉しいのです。良かった」と「ホッ」とした様な声を出した。

「私はお義姉さん達(私の姉妹)のお父さん、お母さんのお世話になったのに、何にも恩返しをしない儘になってしまったので、せめて今、お義姉さん達にそのお返しをしたいと思って」と言う。

そうだったのか。私は用事や法事でもなければ妹の継いでいる東京の実家に行かないのに、この従妹は、私の父母の命日やお盆などにはいつも実家に顔を出す。昨年、妹が大病をした時、往復3時間かかるのに度々、通って面倒をみてくれたので、その誠意に感謝していた。



この従妹は、父の弟の子である。弟夫婦ははずっと田舎の家(高田)で祖父の後妻と一緒に住んでいたが弟は小さいの女の子を残して亡くなった。

その後、子の母親は再婚したが、長男である私の父はその再婚先が気に入らず、そんな処に弟の子はやれない、と引き取った。子供は田舎の家の義祖母に良くなついているので其のまま田舎に置いて育てた。

義祖母は母親代わりとなって4歳の女の子を可愛がった。田舎に住む父方、母方の親類は、女の子に絶えず声をかけた。父もよく田舎の家に行って父親代わりをしていた。父が義祖母の作るお弁当をみると、田舎の習慣なのか漬物だけだったので、卵を入れて貰うようにと、鶏を買い、鶏小屋を作ってきた、と言っていたのを覚えている。

私の母は、田舎への仕送りが無ければどんなに楽だろうと言い、それがいつも夫婦喧嘩の種となっていた。冬には雪下ろしの要する家を維持し、二人の生活費や学資を送るのは、サラリーマンの父にとって大変だったに違いない。

従妹は、高校を出ると、田舎で就職して、すっかり老いた義祖母の杖代わりとなって、面倒を見てくれたので私達は田舎に従妹がいて、随分助かったと思っていた。年頃になると父は自分のよく知っている青年と結婚させた。今、従妹は父親の違う妹二人とも仲良く行き来してる。

12月、林檎が送られてきた。両親の顔を思い出しながら、昔よく田舎のお土産に貰った翁飴(子供の頃は好きではなかったが)を求めて、一緒に神棚「白木の仏壇のような形」に供えた。

H17/01

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