デニーズで
 
 先週の日曜日、長男が来て、帰ろうと玄関を出たところに、たまたま、次男一人が乗った車が着いた。 折角三人揃ったのだから、夕食を一緒にしてゆかないか、と誘うと長男が戻って来た。遠くの美味しいレストランは話題に上らず、一番近い「デニーズ」とすぐ決まる。

 息子達二人が小学生のころ、私達は妙蓮寺の社宅にいた。十二坪の家でも、当時としては恵まれ方だった。私達は三階にいたが、下の二階には夫婦とその夫の母親が住んでいた。

私が階段を通ると、階段の踊り場でぼんやりと外を眺めている母親によく声をかけられた。「お宅は息子さんだけだけど、貴女の息子でいられるのは今の小さい時だけよ。大人になると嫁さんが付いて自由に声もかけられなくなるの」と教えてくれた。 近くに住む校長先生の奥さんからも度々呼び止められた。「東大を出た一人息子なのに、一人娘の嫁の実家に取られて、向こうの家に住んで、ろくろく家に来ないのよ、寂しくって」

 こんな話をきいているうちに、年をとった時、私だけが例外で有るはずが無いと思い、先々、子供の方を見ないで過ごす術を身につけなくては、という思いを強くしていた。

 二人の息子が就職で家を出た時、淋しいというより開放感でほっとした。普通の人より情が無いのかもしれない。

 正月や、何か行事のあるときは私達夫婦と息子達夫婦、孫、計、十一人が何時も集った。母の日には嫁や孫が花を、時にはブラウスなどを持ってやってくる。世間で聞く、ごく当たり前の暮らし方をしていたと思う。このころは、親である私達も若く、旅行や趣味のことでそれぞれ忙しくしていた。 夫が亡くなった時、私はまだ勤めをしていたので職場に行けば同じ境遇の仲間が幾人かいて随分助けられた。



現在の私、八十歳過ぎての暮らしは、うっかり忘れたりする事が多くなり、私自身が考えても、危なっかしいと思うことが多い。いよいよ自立して生活出来なくなったら、寝たきりの母を、姉妹で看た経験から、不本意でも適当な施設に入るべきと、思っている。しかし今持っている自由の快適さは大抵の事では手放したくは無い。

若い頃は娘と一緒にデパート巡りをしている人を羨んだが、最近は娘に叱られてばかり、の愚痴も聞くようになった。

この頃、息子達はそれぞれひと月か2月に一度位、顔を出す。長男も次男も、嫁や孫を連れてくる時は前もって電話がかかる。家族の誰かが行った旅行の土産を持ってきたり、大学生になった孫の海外旅行の写真やビデオを持ってきて見せてくれたりする。時には食事にゆく。

しかし長男、次男とも一人でくる時は断わりも無く急にふらりとやってくる。私も彼らもお互い用事らしい用事が何も無いからだ。私の留守のときには一行の書き置きがあり、ビールの空き缶が残されている。長男は同じ川崎市なので、用がなければじきに帰るが、横浜の次男は夕方来て食事をして帰ることが多い。

デニーズに早めに着いたので広い席に案内された。それぞれ適当に注文する。定年近い息子二人の中に私がいる。なんとなく変な景色のようにも思う。しかしこんな時間を過ごすのは久々の事だ。 この空席にいるべき夫がいないのは残念だが、何十年も前の自分の姿が少し見える。 

「支払いをしておいて」私は財布を息子に預けた。誰も自分が、払うとは言わない。


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